このたび、第2期講座受講者を対象として開催された「第2回フィロショ感想文コンテスト」の大賞受賞作および全応募作品を公表いたします。
本コンテストは講座を通して考えたことをエッセイとして書いた文章を募るものであり、全10作品が提出されました。提出後の全作品について福尾が添削&改稿提案を行い、こちらで公開しているのは改稿後のバージョンです。
本コンテストの大賞・参加賞の賞品は以下の通りです。
大賞:フィロショピー第3期講座無料受講券、福尾の著書『非美学』、『ひとごと』、『眼がスクリーンになるとき』サイン本贈呈。
参加賞:フィロショピー第2期講座30%オフクーポン券贈呈。
さて、福尾による厳正かつ独断的な選考の結果、大賞を以下の作品に授与することといたしました。
柳田「読めた」
なお、現在第3期の講座を販売中です。こちらもぜひよろしくお願いいたします。
【大賞受賞作】
読めた
柳田
東浩紀『存在論的、郵便的』が読めた。
それはほんとうに流れ出すように一気に「読めた」という感じで、突き抜けるようだった。
昨年末から年明けにかけて予習に取り組んだ。福尾匠によるフィロショピーの第二期、「東浩紀の一章」の予習である。僕は第一期も受講している。
どういうわけか、第一期のときとは違って熱心に予習した。どうしてだろうと思ったが、卒業制作にひと区切りついたから自由になったのだった。年末まで集中していた卒制に区切りがついて、やっと本を読めるという段階になった。
フィロショピーでは一冊の哲学の一章を全6回かけて読んでいく。その予習をどのようにしたか。
名刺サイズのカードに、重要だと思うキーワードをぱらぱらと書き留めていく。メモしたうちに入らないような、ひじょうに心もとないメモだが、それらスカスカのメモに日付を入れて、カードファイルにファイリングする。すると、もっと大掴みに「意味の流れ」が見えてくることがある。点から流れへ。そうしたら今度は「意味の流れ」を手書きでカードに写しとっていく。筆写したカードをファイリングする。引用集のようなコレクションができる。丹念に手書きで写した「意味の流れ」を眺めていると、直接的な理解とは異なる美術鑑賞的な間接的オーラによって何かがわかる気がした。
僕は芸大の通信制の写真コースに在籍し、卒業制作の年だった。やっと卒制に着手しはじめるまで、そのつどの提出課題を別にすれば自発的に美術制作に取り掛かることはなく、通信の四年間は本ばかり読んで過ごした。
とはいえ、本が「読めた」四年間ではなかった。
むしろ四年間かけてやっと本が読めるようになったのだった。
読みたくても読めない時期があった。自分は視覚性優位で、本を読んでも言葉や意味にあまりピンとこない。
人文書が読めるようになりたい。美術に注がれていたエネルギーを読書へと移していく必要があった。美術的な発想が、意味的な感度へと変換されていくだろうと思っていた。それはすぐにそうなると思っていた。結果的に四年間を要した。人文書は僕にとって高いハードルだった。
読みたくても読めない、とくにそうだった通信一年目は、肝心の「本が読めること」がすぐにはそうならず、しだいにもともと持っていた視覚的な直観にも自己否定的になり、自分は何かを間違えたかもしれないと思った。
最初に理解できたのはたぶんラカンの理論だ。精神分析における「欲動」と「対象a」に関心があり、片岡一竹『疾風怒濤精神分析入門』を読んだ。人文書は難しい。ラカンの理論は、実存をベースに難しさを考えることができる。実存の「核」を読書に捧げれば見返りが返ってきた。だから最初に読めた実感に近づいたのはラカンだ。
郵便本では、いわば実存を捧げて何かを得ようとすることが否定神学システムだとして批判される。自分の手持ちの「人文書的な難しさ」が否定神学だと批判されているのなら、そうでない郵便的脱構築とはいかなることなのか。
自分は意味的な把握が弱い。言葉から意味を汲み取れない。実存をベースにすれば本の内容を経験に置き換えることで読み通せる。実存が意味の次元をつくる。だがそれには偏りがある。
偏りを均すると、それは丸暗記になる。テキストを文字通りに理解することの究極は一冊の丸暗記だ。文字通り暗記するならば、どんな本も内容の難しさはフラットになる。意味的把握で読もうとするのではなく丸暗記の態勢に開き直る。
だが、僕のカード法は丸暗記とは異なり、スカスカのキーワードメモと筆圧のこもった筆写を交互に重ねていくことで、読むことの文字通り性を二重化する。
スカスカと筆圧、それはどちらもテキストを文字通りに扱うことだ。そこでやっていることは丸暗記を省略させる工夫なのかもしれない。読むことの文字通り性の二重化——スカスカと筆圧——は、そのどちらにおいても、テキストすべてを文字通りに扱うわけではない、部分的な文字通り化である。
丸暗記がスカスカと筆圧によって二重化され、さらに二重のレイヤーそれぞれにおいても文字通り化は部分的でしかなく間隔がある。この省略の工夫によって、本を直接的に理解しようとせず、間接的理解で読み通すことができる。
カードメモをしばらく続けていて、あるとき突き抜けた。
メモは取らなくなった。普通に読んで意味をとれるようになった。僕は『存在論的、郵便的』が読めたのだ。
郵便本が読めるようになるというのは自分にとって、実人生で得た経験の深い「核」を読書に捧げることで得られる理解によってではなく、もっとニュートラルに「可読の技術」によって攻略しなければならないものだった。
この本が「読めた」と感じたとき、やっと「ああ自分は読めるようになったんだな」と、それまでを振り返っていい地点にきたのかもしれない。「読めた」とは、本の内容を、実存を掘り下げそれと呼応するかたちで理解を得るのではなく、ニュートラルに読むこと、読めるようになること、だったのだと思う。
【全応募作品(順不同)】
記憶力の手触り、目に映るもの
高杉佳
ベルクソンがイマージュを論じながら考察する知覚と記憶力の関係を、私は日々の暮らしの中で体験しているように感じる。一日の中で、記憶力の程度の変化によって「私」という存在自体が薄まったり濃くなったりするように感じている。
ベルクソンは『物質と記憶』の中で、人間の知的認識を根源的な働きである知覚と記憶力という二つの作用にまで分解し、記憶力の作用する程度によってさまざまな意識という知的な働きが生まれてくる仕組みを描き出す。アメーバのような原始的な生物は何かに触れて知覚してから反応するまでの時間がほぼゼロだが、対してより複雑な生物ほど知覚から行動までの時間を延ばすことができる。この事実からベルクソンは記憶のスケールの拡大と行為の複雑さは相関し、生物は記憶力の程度に応じてさまざまな行為が取ることが可能になりその分空間を自由にできると考え、それこそ人間が意識を組み上げる仕組みだという。
ベルクソンの説くこうした知覚と記憶の原理を考えるとき、私は自分の生活の中で自分の知覚と意識の間が遠ざかったり近づいたりすることを思い出す。ベッドの中で休んでいても、元気のある時はいろいろなことを考えられる。思想や芸術、おいしかった食事や未来に作りたいメニュー、明日のスケジュールなどなど。複雑なこともじっとしながら意識の中で思いめぐらせていられる。だが、元気がない時にはそうして考えを巡らすことができない。気圧の変化や生活リズムの崩れ、前日の疲労などから自律神経失調がひどくなり、腹痛や頭痛を覚え、全身が重く怠くて起き上がることができずただ息をするだけで精一杯なときほど、ただぼんやりと目に入るものをそのまま見ているのが一番楽だ。例えば天井や壁の凹凸が作る影の細部まで見続ける。そうしていると不思議な落ち着きが生まれ、何も変わらない天井をゆっくり見続けていることがある。網膜はスクリーンになり、映画の静かなショットのようにただ入ってきた光を映している。
この体験から考えると、ベルクソンによる意識についての説明がぴったり合う。ベルクソンは意識を知覚と記憶力からなるものと説明するが、目のような感覚器官が刺激される純粋な知覚が身体を通じて反応するまでの時間こそ記憶力だという。私が体験したように、自分の体調によって違う意識になるのはこの記憶力の程度によるのだろう。体調がよくいろいろ考えている時はベッドに入る前に目にしていたカレンダーや手元のメモ、あるいはさらにその前読んでいた本やSNS、WEB上の記事などずっと前の様々な情報が意識の中で次々に飛び交い、衝突しながら行きかっている。過去からの刺激が脳という身体の中で記憶力の作用により意識の中で遅延して現れて意識の中で踊りまわり、そしてそれを情報として認識しているのだ。
一方で体調が悪く、なにも考えることができないままただ目の前のものを見据えているようなときはどうか。そのとき記憶力はひどく衰えているのだろう。記憶力が作用して遅延する時間が短いために、体調が良い時のようにベッドに入るずっと前の様々な知覚が遅延しつつ次々意識に上るようには思考できず、ただその時目に入り知覚された光を確認する程度の時間しか遅延できない。しかしそのごく短いサイクルの記憶が疲れ切った脳にとって最も適切な時間なのだ。
ところで、私はいま体調不良のため療養中だ。休みながら、せめて頭を使って学び思考しなくてはと思うことが多かった。だがこうして考えると思考とは脳をはじめ身体を用い、記憶力の作用を活かした営みであるのを実感する。複雑な思考はより長い知覚の遅延を必要とするものだから、思考するほど記憶力を使い、遅延作用を行う脳に負担をかけ続けることになる。それは回復を確実に遅らせていくだろう。だからこそ、目に映るものをただ見つめるような、短い記憶に身を浸しているだけの時間をさらに多くとっていくことが脳を回復するために必要になるはずだ。これまでのようにただ勤勉に考え続け、脳の記憶力をハードに使い続ける生活を根本的に変えなくてはならない、新しい季節に差し掛かったのだと思う。
ベルクソンと早口言葉——知覚論で見えてきた日常の風景
のり
「タカナだけカタカナだな。」
母の認知症予防のために、早口言葉の本を買った。
商品の陳列棚に高菜おにぎりがあるが、他のおにぎりはそうではないのに、高菜おにぎりだけカタカナで表示してあるという設定らしい。
「田中はカナダかな。」
母はなかなか本に書いてある通りしゃべれないから、そのたびに訂正することになる。それはそれで面白いのだけど。
この度、福尾さんの講座を受講し、ベルクソンの『物質と記憶』を学ぶと、確かに、と思い当たることがいくつもあった。この体験もそのひとつである。ベルクソンによれば、記憶は「現実の直観に変わってしまう」。私たちはものを知覚しているように感じているが、知覚しているのはほんの一部。この事例でいえば、見慣れない言葉は十分に知覚されず、よくなじんで記憶されている言葉に置き換えられてしまっているのだ。
車の運転に関しても思い出すことがある。教習所で車の運転を始めた頃は、とにかくスピードというものが恐ろしかった。光に満ちた風景が次々自分の方に押し寄せてくる。そのくせ、時速30kmくらいしか出ていない。運転を終えるとぐったりした。人間が時速50km以上で移動することは、生物の進化論的にも無理なのだと、ひとりつぶやいた。あれから数十年、いまは全く平気だ。
ベルクソンは、知覚を質問に、行動を返答にそれぞれなぞらえ、安定した習慣が身につけられれば、質問としての知覚は減じると書いている。思うに、不必要な視覚情報が意識されなくなり、入力と出力の作用がよりスムーズになるということが、すなわち運転が平気になるということなのだろう。
また、早口言葉をうまく言えるためには、一時的であってもよいから、そのフレーズを暗記していることが必要条件になる。そうすれば、視覚情報を処理する必要はなくなり、しゃべることに専念できる。その意味では車の運転と共通するものがあるといえよう。
話は変わるが、初めての哲学的な経験は「魚眼レンズ」にさかのぼるのだと思う。冷静に考えると、確かにあれは魚の眼球を模して作られたレンズなのだろうが、人間の眼球を通してみる以上、魚に完全にあのように世界が見えているといえるわけではないだろう。とはいえ、小学生の私には軽い衝撃だった。そして、その衝撃はじんわり、あとを引くものだった。人間がエライからといって、人間の見ている世界が本当とはいえないはず。いま見えている世界は本当ではないのかもしれない。
この思いは何十年たった現在も続いているし、これからも消えないと思っていた。しかし、いまは光明が見出せた気がする。おそらくカギは抽象的に「本当の世界の姿とは?」という問いを発することにある。なぜなら、この「本当の世界」を見たいという欲望は、知覚が思弁的で純粋な関心を持っているということを無意識のうちに前提しているからだ。(アンリ・ベルクソン『物質と記憶』杉山直樹訳36頁)例えば、私たちは紫外線を知覚できないが、そのことで必要な視覚を確保できている。生物にとっては、生きることが最優先事項であり、あくまで、知覚はそれを実現するための手段であって、あらかじめ制約されているものだ。
とすれば、人間も生物である以上、知覚が限界づけられてしまうことを免れない。ベルクソンが言うように、知覚とは、諸対象との関係なのであるから、生物固有の知覚の在り方を捨象して、「本当の世界」を見たいという欲望を持つことがナンセンスなのである。
以上のことから、知覚は、意識することなく獲得した、世界への適応能力であり、車の運転や早口言葉がうまくなることは意識的に獲得したそれであるということがいえそうだ。そして、これは私の勝手な連想なのだが、私たちが身体(物質)レベルでも精神のレベルでも、あらゆる適応から自由になったときに訪れるものが死というものなのだ。
「田中はカナダかな。」母は、まだ、間違った早口言葉を繰り返している。やはり、知覚よりも記憶が近しいものとなるのが老いというものなのか。そういえば、死ぬ直前には走馬灯のように過去の記憶が押し寄せてくるという説を唱えていたのも、ベルクソンだったっけ。そんなことを考えていると、いつの間にかムキになって早口言葉を訂正していた。
散らかった部屋に哲学を積んでいる。
皐月偽
散らかった部屋の中に、読みかけの本と、開けていない段ボール箱と、空のペットボトルを積み上げている。PCあるいはサイバースペース(?)の中には、アップデートが来たのにやってないゲームと未処理のタスク、書きかけのレポート、あと見ていない講義動画が溜まっている。ふと、他人事のようにどうしてこんな状況なのだろうと首を傾げて、「そうか、もしかしてだけど疲れているのか?」と他人事のように考える。自分の疲れを認識して対処することが得意ではない。そのせいかいつも、疲労のことを考えている。うまく把握しきることのできない自分の身体を他人事のように眺めて、自分の調子を測ることがほとんど癖のようになっている。
電車を乗り間違える回数が増える。あと、部屋がだんだんと汚くなっていく。そういうことが何回か重なって、ようやく自分が疲れているという可能性に思い至る。そういう出来事が重なるまで、僕は自分がどれくらい忙しくて、どれくらい疲れているのかということをちゃんと認識することができない。なんか妙に眠いような、何かを思い出すのに妙に時間がかかるような気がするけど、頭が冴え渡っているような状態で数日過ごしていて、それでふと汚くなった自分の机と、服の散乱した床を見て「あ、疲れているのか」と気づくみたいなことが何度もある。お腹が空いていることを忘れていて「あれ、そういえば朝から何も食べていなかったかも」と思うこともたまにあるし、自分の肉体感覚を頼りに自分の調子を判断することが苦手なのかもしれないと思う。
もう短くない時間、生きながらえてきたので、ある程度経験値は溜まってきて、電車を乗り間違える回数とか部屋の綺麗さとか、パスタソースを間違えて服につけちゃう回数とかを観察することで、自分の疲労とか調子とかを確かめることにしている。だけど、とても個人的なものであるはずの気分の浮き沈みとか、自分の内側から感じられるはずのものである疲労とか不調を感じるために、自分の外側にある何かをパラメータとして採用しなければならないなんて、変なことだと思う。でも、そういう不器用さというか、判断不全のような症状は僕だけのものではないのだろう。アメリカで人気を博しているらしい瞑想(マインドフルネス?)の中にも、目を閉じて自分の体の隅々まで意識してみる、という段階があったような気がするが、わざわざ時間をとって意識的にやらなければいけないほど、我々にとって自分の身体感覚をちゃんと認識するのは難しいことなのだ。
そして、そういう自分の外側を眺めることでしか自分の調子を認識できないということはベルクソンからしてみれば変なことでも何でもなく、人間の知覚のシステムから来る当然の帰結ということになるのだと思う。「知覚は、まず物体の総体のうちにあり、次いで少しづつ限定されて、私の身体を中心に採用するのだ。」(アンリ・ベルクソン、『物質と記憶』p.82、杉山直樹訳、2019、講談社学術文庫)という一節を読んだとき、そんなことを思った。「私」の知覚に先立つものとして、イマージュが広がっている。だとしたら「私」の疲労の認識に先立つものとして、イマージュ――楽しみで買ったのに開けていないamazonの箱が積み重なった部屋、ベッドサイドに積んだまま未整理の本、床に落ちている本の帯――が広がり、そこから逆算するようにして「もしかして、疲れているのかもしれない」という曖昧な知覚が形成されるとしてもおかしくないのではないか。
ちなみに最近は、難しい本を読んだときにどれくらい目が滑るか、フィロショピーの講座をどれくらい積んでいるかというのも、忙しさと疲労のパラメータとして使えるのではないかと思っている。哲学も、哲学書も、まずは単なるイマージュとしてそこにあり、僕の散らかった部屋に積み上がっている。(1281字)
哲学の窓——講義を通して見えた景色と訂正
悠月誰依
——冬の間、私は画面の向こう側の言葉に耳を傾け続けていた。
東浩紀の「訂正」という概念が、私の思考を触発した。規則と審判、共同体と観客、プレイヤーと逸脱。言葉はどこで訂正として承認され、どこで逸脱のまま棄却されるのか。オンライン講義を通じ、「訂正の場所」の条件が徐々に明確になった。
ある日、講義後に友人と喫茶店で議論を交わしていた。「この会話のどこが訂正で、どこが逸脱なのか」と考えながら、私は発言の正確性を意識していたが、「正しさ」はいかなる基準で確定されるのか。たとえば、ゼミ発表で哲学的概念を整理し提示した際、教授に「その解釈は一般的ではないかもしれませんね」と指摘された。その瞬間、自らの言葉が逸脱と見なされたと感じた。しかし、後日、教授が私の指摘を参照しつつ議論を展開するのを聞き、訂正とは単なる否定ではなく、思考の生成契機であることを認識した。
「訂正は事後的である」。この言葉に触れたとき、高校時代の文化祭を思い出した。脚本を手掛けた演劇で、私は台詞を即興的に変更することがあった。観客が笑えばその変更は「成功」と見なされ、無反応ならば逸脱として消える。観客の判断がなければ逸脱は意味を持たず、言葉の価値は共同体の認識に依存する。哲学史においても、新たな視座の確立は単なる否定ではなく、共同体による承認を通じた訂正のプロセスである。
講義ではベルクソンの時間論にも言及があった。知覚は外界の情報を選択的に取り込み、時間は持続のなかで波打つ。しかし、その知覚はすでに編集・制限されたものである。では、知覚と記憶の狭間にある「情感」はどのように位置づけられるのか。
ベルクソンは情感を行動の可能性の表れとして定義した。この命題は、知覚された対象に対し私たちはどのように応答するのか、という問題を含意する。ある日、電車内で本を読んでいたとき、「この文章をどこかで読んだことがある」と直感した。しかし、その記憶の起源を特定できない。高校時代の読書か、過去の講義内容か。これが「情感」の事例なのかよくわからない。しかし「情感」とは、記憶の断片が知覚を通じて浮上する瞬間であり、新たな行為を促す潜在的契機となる。ある日の私の直感は「情感」概念を訂正するのかもしれない。
大学のゼミで教授に「その解釈は一般的ではないかもしれませんね」と指摘された記憶が蘇る。かつては自身の発言が否定されたと受け取ったが、今ならばそれこそが「訂正」の場であったと理解できる。もし発言が完全に誤っていたならば、逸脱として消去されていたはずである。しかし、教授の指摘によって再考の契機を得て、新たな視点へと接続された。
大学とフィロショピーの両講義が進むにつれ、私は思考の変容を幾度も経験した。たとえば、友人と哲学書について議論していた際、私はチャルディーニの「説得力の6原則」を「正しい」と主張した。しかし、友人に「その前提は本当に妥当なのか?」と問われ、思考の欠陥に気づかされた。こうした議論を通じ、「訂正される側」であることを自覚した。観客の判断を通じて逸脱が価値を持つならば、私の発した問いもまた、誰かの解釈を通じて意味を獲得するのではないか。
否定神学の構造もフィロショピーのなかで浮かび上がった。「不可能なもの」の単数化は思考の自由を封じ、未来の可能性を縮減する。しかし、郵便的思考はこの単数性を解体し、複数性のなかに思考の可能性を見出す。この講義では、私はテクストを読み、解釈し、介入し、変容させることを求められた。
東浩紀は、否定神学的思考が超越論的単数性を保持し、批評の場を固定化すると指摘する。一方、郵便的思考は「誤配」と「複数性」を通じ、批評の場を開かれたものとする。確定的な意味を持たず、揺れ動きながら新たな意味を生成する運動そのものなのだ。
——冬の間、私は画面越しに思索し、言葉を刻んだ。そして、両講義の終わりとともに私は気づいた、形式にこだわる者は「訂正」ができないと。チャルディーニの原則を形式的に信じていた頃には無い発想だ。形式にこだわる者は私の全ての文章を読み、「何かが訂正されたのだな」と思うことしかできず、混乱するだろう。しかしこれは、私、悠月誰依のいくつかのエピソードを非内実的に語ることによって引き起こされる「誤配」の受信である。
私はこれからも、「誤配」と「訂正」の狭間を彷徨いながら、思索を続けていくのだ。
父の記憶とともに
fumi2
父が認知症を発症したのは昨年の12月、「ベルクソンの一章」講座が始まったタイミングだった。早朝の警察からの連絡。「お父様が家の鍵の暗証番号を忘れて入れないと…」。保護された父を迎えに行くと、寒い中シャツ1枚でいた姿に涙があふれた。それからは、時計の針が逆回りするかのように、父の記憶が一日一日と過去へと溶けていく日々。それでも私は講義だけには参加しようと誓った—それは父との新しい関係を模索する私自身の救いにもなった。
「桜が見たい」。ある日、2分前の記憶さえすぐに忘れてしまう父が、穏やかな表情で突然つぶやいた。車で遠出をし、目的地に着いた瞬間、父は窓の外を見つめながら語り始めた。「おじいちゃんが農林省にいたとき、アメリカのワシントンに桜を送った。毎年桜に願掛けをして、いつかワシントンの桜を見るつもりだった」。父から祖父(私にとって曽祖父)の話を聞くことがなかっただけに、驚きと同時に何か意味があるようにも感じた。
この出来事を通して、講座で学んだ〈イマージュ〉という概念を思い出す。ベルクソンは『物質と記憶』で、世界は単なる客観的実在ではなく、私たちの知覚や記憶によって再構築されるイマージュとして現れると説いた。私たちは外界の物質そのものを知覚しているのではなく、身体が選別し意味を与えた「印象」の集合体を通して世界と関わっているのだ。
ベルクソンは観念論と実在論の二極端を超克しようとする。私たちの知覚は受動的に外界を映し出すのではなく、身体が実践的に情報を選び、固定化していく過程で成り立つ。選別されたイマージュは、即時的な「純粋知覚」と、時間の流れの中で内在する「純粋記憶」に分かれる。福尾氏が説いたように、赤ちゃんが「内」と「外」の区別を持たず、全てが「ここ」として押し寄せる状態から、やがて身体の中心が形成されるプロセスに似ている。
父の場合、普段は2分前の記憶さえも薄れてしまうが、あの日の風の匂いや景色から呼び覚まされた祖父の記憶は、まるで純粋記憶がよみがえったかのようだった。私たちが見過ごしている無数のイマージュから特定のものだけが選ばれ、意識の奥底に固定され、ある瞬間に鮮明な「古い現在」として再現される。これはベルクソンが語る持続の内在性、過去と現在が一体となって存在するという考え方に通じる気がした。
また、「観念論 vs 実在論の超克」というテーマも理解が深まった。外界の桜は誰にとっても同じ実在だが、父が語った祖父のエピソードは、父の内面に刻まれたイマージュとして個人的実在を帯びている。私たちが感じる世界は外から与えられるだけでなく、経験や記憶、身体の働きによって再構成され、個人的な意味が付与される。これがベルクソンの語る物質と記憶の統一的理解のことでもあり、観念論と実在論を乗り越える視座ではないだろうか。
この視点は、認知症という現実の中でも、父が語らなかった過去のエピソードがふと蘇り、今この瞬間と融合するという奇妙でありながら本人には当然の現象として現れる。日々の記憶や感覚は一時的なものではなく、内在する持続の一部として過去と未来をつなぐ架け橋となっている。
福尾氏から教わった「イマージュ=物質」や「純粋知覚論」は、こうした体験を理解する鍵となる。それは私たちの日常の中で、ふとした瞬間に顔を出す。たとえば、窓の外の交差点を眺めているとき、私という存在は、背景にある無数の感覚や記憶とともに「ここ」にあると感じられる—それは抽象論ではなく、まさに日常において体感される現実だ。父と過ごす中で、「今」と遠い昔の記憶が一体となる感覚を何度も経験する。まさにベルクソンが、知覚は対象そのものであり、知覚の周辺から中心へと進むプロセスであると語った通りだ。
このエッセイを通して、認知症の父との日々とベルクソンの哲学の間に不思議な共鳴を感じる。外界のイマージュから身体が選別し、純粋知覚と純粋記憶として再構築される世界。その流動的で温かみのある持続の中に、父の記憶と今この瞬間が交差する。その時、私は認知症という悲劇的現実だけでなく、人間の生きる深淵と美しさに触れたのだ。これこそがベルクソンの『物質と記憶』が伝えたかったことだと、心に刻む。
(私も当事者にかかわる身として、この治療が少しでも進歩することを切に願う人間であります。私自身、病気を抱えながら親の徘徊、通院、介護等の対処は精神的にも肉体的にも疲弊します。介護離職の危機を痛切に感じることもあります。決してこの病気自体を肯定する意図はありません。)
鳥とベルクソン
久我飛空
鳥がいる、と思って見上げたら何羽かの小鳥が同じ木にとまっていた。それぞれが小刻みに首や身体を動かし、枝と葉の集まりの中に可愛らしい震えを見る。
見る。
僕は走っていた。はずだった。このとき、私は「見る」であった。名詞ですらない。夕方、仕事の合間に休憩がてら川沿いのランニングを楽しんでいた僕、じゃない。
私の意識は動く頭上の鳥にあった。身体にかかる爽快な負荷はどこかに行き、滑らかに移りゆくアングルの中で鳥たちの瞬きに満たされたスクリーンを見ていた。
あれは、ほとんどの純粋知覚だ。
しかし実際には、知覚は感覚中枢にも運動中枢にも存在していない。知覚は、それらの中枢の関係の複雑性を示す尺度となりつつ、知覚が現れているその場所に存在するのだ。(アンリ・ベルクソン『物質と記憶』杉山直樹訳、講談社学術文庫、p.61)
知覚は僕の中にあるのではない。自由な意志が創り出した想像でもなければ、脳内の細胞の組み合わせによって浮かび上がった幻なのでもない。
それは私の外側に実在する世界——「私が「宇宙」と呼ぶところのイマージュ」——に含まれる私が「鳥」と呼ぶところのイマージュとして確かに存在するものの知覚であり、そこに鳥はいる。
この逆コペルニクス的転回よ! 我(われ)が中心で世界の方がつくり出されているという「意識の天動説モデル」から、世界という蠢く実体の中に私は含まれており他者もまた居るのだという「意識の地動説モデル」へのちゃぶ台がえし。天→地という順番なのに「逆」とつけたくなったのは、それが常識的直観へ再び帰るような「発見」だったからだろう。
アンリ・ベルクソンの発見。それは私の走る身体から鳥たちへの転移を可能としてくれた。「自分」を忘却し、ぼーっと“それ”に成っていいのだと、許しを与えてくれた。それはまるで、人間が本来何を思い考えてもよいという思想の自由の権利が回復されたかのような解放である。
開放的な走りができた。
走る身体はいつもより思い切り息を吸って吐き、筋肉は協働して60kgの物体——「私が私の身体と呼んでいるところのこの特殊なイマージュ」——を頑張って運ぶ。この特殊なイマージュが、川や道、木々や鳥、太陽の光、行き交う人、清廉な空気というイマージュたちの中で移動し、躍動している。私は一人で踊っていたのではない。イマージュたちと踊っていたのだ。
たしかに、観念論のように自由に世界を想起できたら(その可能性を信じられたら)楽かもしれない。実在論のように全てを脳内、神経内における物質の計算可能な運動に還元できたら楽かもしれない。しかし、これら二つは、現実を支配可能なものにしたいという人間くさい欲望の投射としての物語だ。
私たちは世界・宇宙・現実というイマージュに投げ出されている。だから生きていくのは大変だ。偶然も事故も出会いもある。私の妻や親や友人や先生や生徒らは哲学的ゾンビなどではなく、私と同じように「特殊なイマージュ」をそれぞれ持ち合わせる他者なのだ。
フィロショピーの『物質と記憶』の講座の中で、響き続ける記憶としてあるのは、質問の解説にあった「窓の外に見える信号機の点滅をぼーっと見ているとき、座っている椅子の座面の感覚は薄まる」という喩え話だった。
これが走る私の知覚に侵入してきたのだろう。
前に向かうわれわれの活動能力の推力は自分の背後にさまざまな記憶がなだれ込めるための隙間を作るのだ。(同書、p.88)
感想文コンテストへの挑戦という精神的な「推力」と、川沿いのランニングという身体的な「推力」が合わさって作り出した「隙間」に、ベルクソン講座の記憶が吹き込んだ。
おかげで僕は鳥たちが映るスクリーンに出会い、「純粋」なイマージュとのダンスを楽しむことができたのだ。
知覚に記憶がうまく溶けると、日常はより豊かになる。踊りの一振り一振りに意味を込め、表現に変える力のことを「記憶力」と呼びたくなった。
なぜスイカゲームは面白いのか
オータ
私はスイカゲームをやっている。スイカゲームとは上部の雲から大きさの異なるフルーツを限られたケースの中に落としていくパズルゲームである。同じフルーツ、例えばサクランボとサクランボが触れると一つ上の大きさのイチゴになっていく仕組みだ。最大のスイカとスイカを合体させると消滅する。フルーツは11種類でスイカまでの段階は10段階である。簡単そうにみえるが、ある一定の大きさ以上のフルーツを落とすことはできない。順調にフルーツを大きくしていっても途中で小さいフルーツが続くと同種のフルーツと合体できぬまま溜まっていくのである。ケースも小さく、一つくらいはスイカを作ることができてもそのスイカを二つ作り上げ合体させるのは至難の業である。
SNSで知らない誰かがつぶやいていたが、そんなスイカゲームにも攻略法があるらしい。だが、攻略法に則ってプレイするとただの作業になってしまい全く面白くないのだという。私にもわかる。そんなことをしては絶対につまらない。だから攻略法とやらは見ずに自分のタイミングと角度でフルーツを落としていく。
アンリ・ベルクソンの『物質と記憶』の中で、生物の神経系が発達するにつれて諸事物に対する行動の非決定性が増すということが措定されていた。平たく言えば、神経系が発達した生物は行動が選べるということだ。触れた物に対して攻撃するか捕食するかしか行わない生物と比べて、人間は食べ物一つとっても好き嫌いや空腹具合によって食べるか食べないかを選択できる。私がスイカゲームを単なる作業にしたくないのは、神経系が発達した生命体としてこの非決定性を存分に行使したいからかもしれない。しかし非決定性は諸刃の剣であるようにも思う。生物にとって重要な生存への選択ということを考えてみても、自傷行為や自殺などはマイナスなことではないのか。そしてスイカゲームにおいて、私はスイカを二つ作ることを最優先にしなければならないのに非決定性を行使して攻略法を見ずにプレイし失敗する。
しかし失敗ということに対して東浩紀の『存在論的、郵便的』からは救いの手が差し伸べられる。東はジャック・デリダの郵便的脱構築において郵便の誤配の可能性が超越論的思考——経験に基づかない思考——を生じさせる仕組みを示す。東の議論を読んで、先にあげた、人間の生存に対してマイナスになるような行為の原因は超越論的思考にあるのではないかと思った。どういうことか。私たちが自分の存在や生きる意味を問うてしまう時、前世の記憶や死という経験もないままに思考している。人間は、自分の存在や生きる意味といったものに明確な答えがないにもかかわらずそれらを考えてしまい、ときに絶望し自分を傷つける。それでも考えることをやめられないのは、そこに私という主体があるように思うからだ。超越論的思考は郵便というシステムが持つ性質によって開かれる。手紙が必ず届くわけでもなく、手紙が必ず届かないわけでもなく、手紙が届かないことがあるという誤配の可能性によって超越論性が開かれる。誤配とは失敗である。失敗の可能性があるから私たちは思考する。そこに必然的な帰結がないから考えるのだ。
これは一つの希望である。なぜ希望なのか。超越論的思考がやめられないのはそこに私という主体があるように思うからと書いた。私という主体を実感するには、私一人が存在しているだけではダメだろう。たった一人の他者と向き合うのでも不十分だろう。複数の他者の中にあってはじめて私が浮かび上がってくる。この複数の他者ということが正に郵便的脱構築の示すものである。他者が複数いることで、手紙が誤配されることと無事届くことのどちらのパターンも可能になる。私は複数の他者の中にあって必然的帰結のないあらゆる可能性の中で、はじめて私という主体を感じることができる。主体を感じることができるというのは希望ではないだろうか。無限に存在する失敗のパターンをそのままに、成功する可能性にも期待しながら、攻略法を見ずにスイカゲームを、または人生をプレイすることが私にとって希望ということになる。郵便的脱構築は絶望と希望の二項対立を解体した。
私がこの講座を受講したことの動機には「難しい哲学を効率よく理解したい」という、ある種の攻略法を求める気持ちが少なからずあった。しかし最終的にはこのように自分の力で自分の思考と向き合うことに希望を感じることになってしまった。失敗の可能性が無限に広がっているにもかかわらず。私だけではないだろう。講義に対する質問を聞いていると、おのおのの研究テーマにしないと答えがでないようなものがあると感じた。成功するとは限らない。だが、みなそれぞれのスイカゲームをはじめたのかもしれない。
ドラマを観ると何が起こるのか? ――東浩紀『存在論的、郵便的』の一章を受講して
堀 雅之
冬ドラマはフジの『119エマージェンシーコール』が面白かった。前作『日曜の夜ぐらいは…』で弾むように自転車を漕いでいた清野菜名は今回は、いつもダンスでもしているように走っていた。身体能力に直結した演技は119番の緊急電話に対応する指令管制員の台詞回しや声の調子にも現れていて初回から引き込まれた。
ドラマはビール片手に一日がんばってホッと一息ついた時に観始め、演技や展開に没頭し、観終わって「面白かったー!」と呟く三つの様態から成っている。観る前の僕は現実世界で仕事や人間関係に疲れてリフレッシュしたいと思っている。観ている最中は完全にフィクションに身を委ねて100%受け身の状態にいる。僕は画面の中の火事を消すことも結末を変更することもできない。受け身の僕は脚本を変えられない。だが観終わった時だけ僕はドラマに対して能動的になれる。面白かったー!と言わずにはいられないからだ。俳優になりたい、ドラマの脚本を書きたい、様々な能動的な反応はどれも面白い!のバリエーションだ。まるでドラマは面白い!と言うためにあるようだ。
僕は「面白い!」という一語に異常にこだわっている。その理由を考えてみる。福尾さんの「(郵便本の議論の見立てが)ラカンとデリダによるフロイトの遺産の相続争い」という示唆に富んだ整理に触発されて、デリダは、精神分析で患者を治療するフロイトやラカンのように脱構築で患者を治療する人だと捉えてドラマに繋げてみる。すると郵便的脱構築は治療技術になり治療は還元すれば刺激の投与だから、デリダのテクストが医師で読者が患者になる。この形式をドラマに敷衍すれば『119エマージェンシーコール』が医師で僕は患者だ。ではそもそも僕は何の病気なのか、それが治るとはどういうことなのか。デリダが執拗に否定神学を攻撃したことにヒントがある。
生成AIブーム以後の人々の反応は、AIは人間ではないと言い張ることで自分こそが人間だと主張し合っている。僕たちは人間が何かは知らないが人間でないものは知っている。人間でないものでメタレベルの「人間」という理念を際立たせるのがラカンの否定神学的脱構築だ。そんな人間の根拠の不安定さに抗って僕たちはかろうじて人間の「フリ」をすることで人間をスタートさせるしかない。
フリは「キミの欲望はボクの欲望」という相互関係的な欲望を強いてくる。でもそれはしょうがない、人間の条件なのだから。けれどそんな欲望の重荷から避難したい時もある。だからフリを強いられないペットがこんなにブームなのだ。僕とペットの間に相互関係的な侵略も関税もイジメも粘着もない、僕がそを仕掛けても単にペットはそうと受けとらない。にも関わらず成立するコミュニケーションは、「それはそれ」という一対一対応のペットと「それがそれ以上」のフリのメタレベルをもつ僕との間には調和点があることを教えてくれる。デリダは「人間」という理念が強いるフリという病気に苛立ちそれを最小限に食い止める落とし所を探っている。要はペット的関係を人間に発生させたいのだ。デリダは郵便的脱構築としての転移でそれを試みる。以上がドラマを観る僕の前提だ。
ではドラマを鑑賞中は何が起こっているのか。ドラマの良し悪しは没頭の度合いだけが基準だ。あの手この手で第一話を最後まで観させ次週も気になると思わせる。『119エマージェンシーコール』は最初の15分で没入できた。
ドラマに100%受け身の僕は、現実世界の住人からフィクションの住人になるように誘われフリという先手を予め封印されている。ドラマは入眠時の夢が編集不可能なことに似ている。フィクションと現実の境界に立たされた僕は清野菜名の「火事ですか救急ですか?」という台詞や瀬戸康史のほくろの位置にフリなしで自由に反応する。ペットに「お腹すいた?」と話しかける僕もフリから自由だ。ドラマもペットも僕たちをそれとは知らずに精神分析の自由連想と同じ環境に置く。僕は、ドラマという精神分析家が整えてくれたフリなしで互いの無意識を差し出し合う自由連想の環境の中を、ストーリーや台詞や演技や衣装や表情に自由に反応し最終目的である転移の発生を待つ。
フロイトは医師と患者の転移には終わりがないと言う。なら患者は治ると治らないの永遠のループを彷徨うのか。心配は無用、ループを切断する特別な転移があるのだ。無意識同士の場で発生する転移は明示的には語れないが事後的行為や言表から遡行的に見出される。ドラマを観終わった後に湧き上がる感動と癒しへの、誰に頼まれたわけでもない止むに止まれない「面白かった!」という応答こそが特別な転移が起こったことの証しなのだ。では面白い!の何がそんなに特別なのか。
最初に何かを面白い!と思った時のことを考えてみよう。僕の音楽好きはエレキギターのチョーキングが脳天を打ったのが入り口だった。単なるうるさい音に魅了されるには僕の経験と記憶の関与が必須だ。その量が最低限の人生の第一周目という臨界点に達すると身心が反応する。僕の人生一周は、音楽の受動性と没我性という自由連想的な環境に担保されて心に浮かぶ僕だけの人生一周なのだから、この面白い!の一語は他者と相互関係的ではなく限りなく僕自身の欲望に即している、僕の欲望は僕の欲望、「それはそれ」ということだ。配達されたばかりの転移を他者ではなく僕自身が承認するからこそこの転移は特別なのだ。僕がこだわった「面白い!」は特別な転移が無事完了したことの祝砲だった。
ここまで何とかドラマをフロイト、デリダに重ね合わせて、ドラマを観ると自分のあり方を巡って無意識が作動することを確認した。それが『119エマージェンシーコール』を観ている数百万人に毎週起こっているというのは結構すごいことだ。続きをもっと考えてみたい。
落ち着かない感じ
メメント☆オオモリ
先日、名古屋駅から新幹線に乗った。普通の指定席が埋まっていたのでグリーン車を予約して並んでいると、自分たちが乗る電車の一本前に、シュッとスリムな背広を着こなした数人がリモアやヴィトンのおしゃれなキャリーケースとともに乗り込もうとしていた。そこに親に連れられた少年が走りながら現れた。一言二言交わして急いで野球の硬球とサインペンを押し付けると、渡されたサインペンでボールにさらさらとサインを書いて渡して握手して、新幹線に乗り込んだ。もらった親子が声を上げて懸命に頭を下げている。有名な野球選手なのであろう。
しばらくすると、色紙をもった別の小学校高学年らしき少年がひとり、汗だくの緊張をした顔でキョロキョロしながら眼の前に近づいてくる。同じような高身長の人にサインをお願いしたが、丁重に断られてまたキョロキョロしたあとに、自分たちの後ろに並んでいる若者に色紙を突き出した。その若者は自分を指さしながら「だれだか知っている?」「違うと思うよ」と小学生に応える。沈黙のまま口をもごもごして懸命に中空をしばらくの間見つめていたが、諦めたのか、違うターゲットを見つけたのかその場を離れた。ずうずうしくこちらから「とにかくサインしてあげてもよかったのでは?」とその若者に聞くと「自分、競輪選手なんで、多分誰かと間違えているのかと」とのこと。道理で体格がよいものの、小学生からサインを求められることはないだろうと合点がいった。
色紙にサインを求める、少年の懸命な熱病に浮かされたような顔が新幹線に乗り込んだ後にビールを飲みながら何度も思い出される。それが勘違いでもなんでも、力強く不器用な感じに憧憬を感じる自分がいた。永遠には掴めないものをそれでもたどり着ける、そこに真実があると信じて進んでいく姿にみえた。その途中でそれを疑うことさえも焚き木としてそれを含めて信じてすすめていく。不信の一歩手前というか、すでに信じていないのに信じていることとして、漏れのない意味づけの線上をまっすぐ歩むような確信的態度への強い憧憬である。この感じが講義で教わった東が『存在論的・郵便的」で批判した否定神学システムのことではないかと感じた。単一の「〜ではないもの」に統合されて、終わらない循環を繰り返し求道していく信念体系である。これを東・デリダは複数が同時に存在してその間を揺れ動く、もはや信念とは呼び得ない信念のようなもので対峙することとなった。しかし、上気した少年の顔が示すものは紛れもない定めであり、反でも、止揚でも、脱でも、非でもない。そんな「定」のただ中にいたい感じが残る。こういうのが動物的というのであろうか。非でもない、と書くと福尾さんの新著『非美学』をくさすような感じがあってこころが咎めたりもする。なにか福尾さんを攻撃したい気持ちが自分にあるのだろうか。
一方、その一週間後に観光で訪れたカナダでのアイスホッケーでの観戦ではまったく異なる体験をした。「大きな声をだして騒げ」とか決まったフレーズをドミナントに大ボリュームのDJが煽り続ける。スタジアム中央に映し出された映像はゴールシーンや乱闘シーンのリプレイのほかにも、観客たちが映し出される。AIに仮装されたり踊りまくる自分たちが映ると大騒ぎする。同じ色と同じロゴを身にまとった人々に周りを取り囲まれている集団体験の中で、先の熱病への憧憬がいっぺんに醒めた。これまた動物的とも言えて馴染めない自分を感じる。ゴールが決まると立ち上がって両手をあげて、横にいる他人とハイタッチをしながら喜び合う。『2001年宇宙の旅』の冒頭「月を見る者」の猿人のシーンが連想されるのでそれはそれで人間的なのかもしれない。そして、試合終了後はまたさきほど一緒に馬鹿騒ぎした人々は互いに目もあわすことなく、急いで帰宅していく。
このふたつの体験がなかなか自分の中で噛み合わなくて、どうにも落ち着かない。離人感と熱狂の間で複数の可能性を喋り続けたとしても埋め尽くすことができない間が生まれる。その間を間として語っても落ち着かない。この心のざわつきがリズムなのかなぁと納得しようとするとまた次のなにかが現れるという始末である。
ここまで記したものへの福尾さんの添削で誤字やおかしいところは上記の部分で修正した。「全体として出来事に過剰に意味づけしようとしている感じがあり」とのコメントも頂いた。この落ち着かない感じをなくすために、熱病に浮かされたかのような様子で色紙を差し出そうとしている少年は自分かもしれないとも思う。なんとか憧れの福尾さんにサインをもらおうとしているのかもしれない。過剰に意味づけしようとしているところはまさにそれではないか。なので本当は福尾さんには憧れていないんだと羨望からか攻撃的になったり、それでちょっとスッキリしたり、罪悪感を感じたり、本当の本当はどっちなのかと悩んだり、もう悩みたくないと思ったり、悩んでいないと思ったり、もっとここで探し物をしてもよいかな思ったり。長文となりました。ここで失礼します(この文末も雰囲気だけ『存在論的、郵便的』に寄せていたり)。