「1C1P(One Chapter for One Philosophy)」第2期講座として東浩紀『存在論的、郵便的』第4章とベルクソン『物質と記憶』第1章をそれぞれ全6回で解説する講座を並行しておこないます。こちらのページでは東浩紀の講座について説明します。ベルクソンの講座についてはこちら。
なぜこの本のこの章なのか
- 『存在論的、郵便的』(1998年)は東浩紀のデビュー作にして理論的主著であり、彼自身のその後の多方面に展開される仕事だけでなく、今世紀の日本の思想・批評を方向づける著作である。
- 本講座で扱う第4章(最終章)は、ハイデガー、分析哲学、フロイト−ラカンの精神分析といったほとんど20世紀哲学全体を覆うような潮流を相手取って、東が後期デリダに見出した「郵便的脱構築」を位置づける議論がなされている。
- したがって本章は、東による20世紀哲学概説/東はそこからいかにして抜け出すことを試みたか、というふたつの側面から読むことができるので、哲学史の勉強にもなるし、『動物化するポストモダン』や『訂正可能性の哲学、あるいは本書に影響を受けた千葉雅也『動きすぎてはいけない』や拙著『非美学』の読解にも資する。一挙両得。
- そして何より面白い。「考える」ということが、ひとをここまでギリギリまで破れかぶれにさせるのだということのひとつのドキュメントとしても読むことができる。
この章のテーマ:コミュニケーションはいかにして思考になるか
- トピックの並びとしては、この章は「論理的脱構築」、「存在論的脱構築」、「精神分析的脱構築」、そして「郵便的脱構築」を順に論じるというかたちになっている。
- それぞれの議論はとても難解なものだが、本講座では初回に『存在論的、郵便的』全体の議論についての概説を行い、ある程度の地図を手にしたうえで読解に入れるようにする。
- 「郵便的脱構築」とは、ひとことで言えば、コミュニケーションと思考の関係についての新しい考え方である。
- 通常われわれは、「自分の考えを相手に伝える/相手の考えが自分に伝わる」のがコミュニケーションだと思っている。しかしここには、自分は自分で相手は相手というそれぞれの自己同一性と、まず思考があってそれが言葉によって伝達される(思考が先で言葉が後)という、ふたつの前提が混入している。
- デリダ−東が狙いを定めるのはこのふたつの前提であり、自分が自分になり、考えが言葉になるより前に、まず言葉が言葉として漂流しており、「自分」や「考え」はその言葉のネットワークの切れ端に宿るものなのではないか。これが「郵便的脱構築」の仮説である。
- 『存在論的、郵便的』における「郵便」と「幽霊」というふたつの最重要概念は、前者が言葉のネットワークの原理的な不完全性を指し、後者がその不完全性によって惹起される「不気味なもの」との出会いにおいてなされる思考を指す。
- 言葉を使うということは、端的に言って「誰かが言ったことを別の誰かに言うこと」である。われわれはつねに、誰かとのコミュニケーションの切れ端(いつか誰かに言われたこと、いつか誰かに言えなかったこと)を別の誰かに差し向けている。
- デリダ−東にとって「無意識」とは、意識的な自己同一性(自分は自分、考えが言葉になる)の下層で、誰のものでもない言葉が行き交う場であり、その衝突の火花のようなものとして思考は生み出される。
囓ることのできる哲学史上のトピック
- ゲーデルの不完全性定理の思想的意義
- 前期/後期ハイデガーの存在論の構造
- 分析哲学と大陸哲学の構造的対比
- ウィトゲンシュタイン−クリプキの言語論
- ラカン−ジジェクの構造主義的精神分析
- フロイトの無意識
日程
全6回 隔週月曜20時より
12/9→ 12/14(土)に変更- 12/23
- 1/6
- 1/20
- 2/3
- 2/17
開催形態
講師:福尾匠
開催形態:YouTube Live、アーカイブ視聴可能、資料配付
使用テクスト:東浩紀『存在論的、郵便的』、新潮社
講座チケット
STORESリンク
*第2期全体の受講者の上限を300名とします。
