ベルクソンの一章:「見る」ことが「触れる」ことになるとき

「1C1P(One Chapter for One Philosophy)」第2期講座として東浩紀『存在論的、郵便的』第4章とベルクソン『物質と記憶』第1章をそれぞれ全6回で解説する講座を並行しておこないます。こちらのページではベルクソンの講座について説明します。東浩紀の講座についてはこちら

なぜこの本のこの章なのか

  • 『物質と記憶』(1896年)は、ベルクソンが「観念論」と「実在論」の対立を解体することを試みた著作である。観念論とは、われわれが見るものはすべて観念的な表象であり、物質的な外界は存在しないとする立場であり、実在論とは物質は確かに存在するが、それはわれわれの頭のなかにある表象とはまったく別個のもの(たとえば、ただの原子の集まりでそれ自体にわれわれが見るような色はない)だとする立場である。
  • 実在論者がどんな証拠を出してもそれが「表象」でないとは言い切れず、自然法則の存在はむしろ、その法則性を神に帰すことのできる観念論者に優位に働く。
  • この出口のない論争に対して、ベルクソンは一見して真っ向から対立する両者がひとつの共通の前提のうえに成り立っていることを指摘する。
  • それが、両者が、何かがそう「見える」ということを観念的で知的なこととして考えていること、つまり見えるものが「頭のなかにある」と考えているということである。
  • 本章で論じられる「イマージュ(イメージ)」は、知覚されるものがその通りに存在するということを、観念論者(バークリーの「存在するとは知覚されることである」という言葉に顕著)とは別のしかたで肯定するために編み出された。
  • 「脳の中にイマージュがあるのではなく、イマージュの中に脳があるのだ」という一文に集約されるベルクソンの内在主義は、ドゥルーズの『シネマ』やメイヤスーの『有限性の後で』に強力なインスピレーションを与えており、『物質と記憶』のイマージュ論は現代思想のひとつの系譜の端緒にある。
  • 『物質と記憶』第1章を通してなされるスリリングな論証には、ひとつの概念を置くことで、それまで「問題」だと思われていたものが、答えの欠如としてでなく誤った問題であると捉え返され、問題そのものが組み替えられるという、ベルクソン哲学のスタイルが凝縮されており、「哲学する」ことの面白さがこれ以上なくストレートにあらわれている。

この章のテーマ:「見る」ことはいかにして世界に触れるのか

  • われわれが見る世界は本当に「実在」するのか、というのは、誰しもいちどは問うてみたくなる問いである。世界は水槽に浮かび電極を刺された脳が見ている夢なのではないか、とか、赤や黄色は「実在」せず、「実在」するのは原子なり素粒子なりの集まりだけなのではないか、とか。
  • しかしその問いのいかにもな「賢さ」こそが罠なのではないか、というのが、ベルクソンの診断である。
  • 件の問いを問うとき、ひとは、見えている「以上のもの=実在」がどこかにあり、見えているものをその「以上のもの=実在」の劣化したコピーとする。しかしそれは、そのような「洞察」を得た自らの知性を顕彰するために、見えているものを格下げしているだけなのではないか
  • ベルクソンのイマージュ論は、知覚=見ることが、知的な思弁を経ることなくすでに世界にダイレクトに触れていることの論証であり、それは必然的に、知的な思弁そのもののありようの変形、つまり「考える」ということの意味の変容を引き起こさずにはいない。
  • われわれが見ているものは、「それ以上でもそれ以下でもなく」存在しており、われわれは「実在」に思い迷うまでもなくすでに世界に触れている。
  • 実在は見えるものの向こう側にあるのでなく、むしろわれわれは実在のなかで見たり考えたりしている。

囓ることのできる哲学史上のトピック(と、本書に影響を受けたもの)

  • バークリーの観念論
  • カントの超越論的観念論
  • 19世紀の実験心理学
  • ドゥルーズ『シネマ』
  • メイヤスー「減算と縮約」

日程

全6回 隔週金曜20時より

  1. 12/13
  2. 12/27
  3. 1/10
  4. 1/24
  5. 2/7
  6. 2/21

開催形態

講師:福尾匠
開催形態:YouTube Live、アーカイブ視聴可能、資料配付
使用テクスト:アンリ・ベルクソン『物質と記憶』杉山直樹訳、講談社学術文庫
【注意:『物質と記憶』邦訳版は多数ありますが、本講座ではこの杉山訳をもとに引用や参照箇所の指示を行うので、受講される方はこのバージョンをご用意ください】

講座チケット

STORESリンク
*第2期全体の受講者の上限を300名とします。

sample:ドゥルーズ初回レクチャー


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“ベルクソンの一章:「見る」ことが「触れる」ことになるとき” への1件のコメント

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