【第1回フィロショ感想文コンテスト】受賞作発表&全応募作公開

このたび、第1期講座受講者を対象として開催された「フィロショ感想文コンテスト」の大賞受賞作および全応募作品を公表いたします。

本コンテストは講座の感想を約2000字のエッセイとして書いた文章を募るものであり、全15作品が提出されました。提出後の全作品について福尾が添削&改稿提案を行い、こちらで公開しているのは改稿後のバージョンです。執筆・改稿のプロセスも含めて、応募者の方々には講座からさらに進んで、哲学をおのおのの生活に合わせて切り出して「持ち帰る」ことができるものにするという、フィロショピーのコンセプトの根幹に触れる体験をしていただけたのではないかと思います(フィロショピーの特徴のひとつは、講義形式であれ演習形式であれ「授業」というものにつきまとう「コミットメントの平準化の圧」を解除できているということだと思います。ラジオ的に聞き流すだけのひとと、毎回感想・質問を書いてエッセイも応募するというひとがいずれも引け目なく参加でき、深いコミットメントには深くフィードバックし、それが講座全体のクオリティに跳ね返っている)。

本コンテストの大賞・参加賞の賞品は以下の通りです。

  • 大賞:フィロショピー第2期講座無料受講券、福尾の著書『非美学』、『ひとごと』、『眼がスクリーンになるとき』サイン本贈呈。
  • 参加賞:フィロショピー第2期講座30%オフクーポン券贈呈。

さて、福尾による厳正かつ独断的な選考の結果、大賞を以下の2作品に授与することといたしました。

  • 高橋利明「こつこつと勉強することについて」
  • ふきみそ「学習とその終わりについて」

エッセイとしての完成度、非受講者にとっての可読性というおもにふたつの観点から、両者は拮抗しており、しかしまったく毛色の違う文体で優劣がつけがたいということ(そしてひとつでもふたつでも福尾の負担は変わらないということ)から、2作品が大賞受賞という結果となりました。

なお、現在12月から始まる第2期の講座を販売中です。こちらもぜひよろしくお願いいたします。

大賞受賞作1

こつこつと勉強することについて

高橋利明

この春、千葉県市川市に引っ越した。いまは南行徳という街に暮らしている。

南行徳(通称、なんぎょ)には色々な民族が住んでいる。聞いた話によると全ての民族の半分以上がなんぎょに集まっているとか、いないとか。本当かどうかはわからないけど……。

東西線南行徳。電車を降りて改札を出ると確かに外国人おおいな。
なんぎょの高架下、商店街にベンチが置いてある。肌が真っ黒になった老人(おそらくホームレス)が横たわっている。彼を見るとアル中で亡くなった父親の末期が思い浮かぶ。ちょっと不安。

今年の夏は、AirPodsで福尾匠の講義を聴きながら歩いた。炎天下の南行徳駅前が、ドゥルーズやフーコーの解説とともに記憶されている。

私は今年の夏、福尾匠の講義を買って、聞きながら歩いた。福尾匠はむずかしい。『眼がスクリーンになるとき』を読んだが、内容は理解できていない。私には勉強が必要だ。こつこつと勉強すること。そういった作業をつみかさねていこうと思う。こつこつと勉強をすること。こつこつと勉強すること。なんだか、こつこつと勉強をしなくてはいけない予感がしている。

私の人生はインターネットにくるわされた。

中学生の時、2ちゃんねるを知ったのがまずかった。2ちゃんの「雑談スレ」でずーっと書き込んでいた。そのうち、昼夜逆転生活に突入して学校に通わなくなった。当時は「引きこもり」や「ネット依存」が社会問題として扱われていたので、われわれネット民は「社会悪」の烙印を押されているような感じで、いやだった。
社会から切り離された私は、自分自身を追い込むような真似をはじめた。自殺未遂。犯罪予告。その他いろいろ。だけどそんな地獄の季節も思春期の終わりとともに終わり。

セカンド・オピニオンでかかった精神科医から「どうせエアコンの効いた部屋でだらだら生活しているんだろ」と指摘され、「もうちん毛も生えてる年齢なんだから、しっかりしなさい」と突っ返された。何故かはわからないが、翌日から自分の人生がパーッと明るくなった。「なんか、がんばろ」と思えた。そのおかげで持ちこたえてきた。

ともあれ中学生という多感な時期にインターネットという情報の渦に溺れた体験があった。憂鬱と官能に酔いしれるという体験があった。それが私をかたちづくった。

その後も、インターネットを見てた。
だけど、だんだんと、インターネットは私の居場所ではなくなってしまった。SNSの時代になって、かつてのように閉ざされつつ開かれた空間ではなくなり、シンプルに開かれた空間になった。

あるとき、尊敬するジャズ・ミュージシャンから「高橋利明はSNSに自我がぶっこわされた人間だ」と指摘されて、半分正解だなと思った。同時に半分間違えてるなと思った。私は2ちゃんねるに青春をささげたから、ネットに自我はぶっこわされた。だけどSNSのせいではないよ、と思った。

インターネットは公共空間になって、逃げこむ場所がなくなってしまった。私はいまだに「インターネットは便所の落書きだ」と思いたくて、でたらめな場所を探し求めてる。というか、私が便所の落書きをしている。

ウケたい。不謹慎なことを言ってウケたい。ひとしきり嗤ったあとに、ちょっと同情して欲しい。私は、私の欲望を実現させたい。

そのためには読み書きをおぼえる必要がある。読み書きはとても重要な技術だ。私は、私にとって大切なことを書くために、あるいは読むために、読み書きをおぼえる必要がある。だから、こつこつと勉強をしている。遠回りかもしれないが仕方ない。私にはそれをするモチベーションがある。

一度ライフコースを踏み外した人間がカタギの人間にもどるのはむずかしい。
私の人生は平均的な日本人のそれより、人生に浮き沈みがおおきい。「めぐまれてるな」と思う日もあれば、オーマイゴッドと叫びたくなる日もある。さいわい今日まで、なんとか生きていくことができた。これからもシノギをけずって生きていかねばならない。

福尾匠のドゥルーズ講義では、『差異と反復』の中にある「泳ぎ」に関する議論が紹介されていた。私はそれを聞いて、その通りだと思った。私は、私の環境を泳ぐしかない。その能力は自分で会得しなければならない。それは私自身の経験を通して体得するほかない。

東西線南行徳駅。改札を出る。スーツケースを引きずる外国人。あるいは移民。私はAirPodsで福尾匠の講義を聞きながら歩いている。高架下の商店街。ベンチには老人が横たわっている。外に出ると、公園がある。クリーニング屋がある。歩行者通路にたむろする大人たち。なんぎょの夜は大体こんな感じ。昼は子供たちがいっぱい。この街には、子供がいっぱいいる。

子供の頃、私は「大人になること」が悲しかった。特に、中学生になって陰毛が生えてきた時は本当に悲しかった。大人になった今はそんなに悲しくない。大人になれば、会いたい人と会えるし、話したいと思った人と話すことができる。そして、たまに「生きていて良かった」と思えるような気付きがある。生きていく理由はそれだけで充分な気がする。人生何があるかわからない。今はただこつこつと勉強をつづけるしかない。とりとめのない内容だが、こういうことも書き留めておいた方がいいと思って書いた。

大賞受賞作2

学習とその終わりについて

ふきみそ

フィロショピーを通してドゥルーズの『差異と反復』を読み進めていく経験は、青空のような全能感で細々としたあれやこれやを有耶無耶にせず、なおかつ暗くて深い沼のような無能感にもハマらずに学んでいく経験だった。この比喩は思想上の問題より前に、もっと身も蓋もない話、例えば勉強をする環境の話につながっている。

ぼくはコロナ禍より前に学生時代を過ごしたため、YouTubeを使用した勉強というものに親しんでいなかった。また仕事の都合上、リアルタイム試聴ができないため、アーカイブ動画を見つつ、テキストエディタでメモを取り、たまに本を開く、そういうスタイルで講座を受けていた。アーカイブ動画の場合、動画をいつ止めてもいいしいつ再開してもいい。こうした環境は、「こんな便利でいいのか」というくらい良いものに思えた。しかしそのうち、この「いつ止めてもいいし、いつ再開してもいい」という柔軟性こそが息苦しくなってきた。

講座自体は細部をクリアに追ってくれるもののため、素晴らしいのはいうまでもないが、そのクリアさでもって持ち帰られた「理解」や「解釈」や「謎」に、アーカイブ動画の柔軟性は絡みつくようにフィットしてくる。少し思考が動くたびに、つい動画を止めてしまう。

こうした中断は、ドゥルーズの文章を読んでいて起きる中断とも似ている。ドゥルーズの文章には文学的な装飾や、哲学的な大仰さが散りばめられていて、その装飾的な「謎」は魅力的でもあり、同時に悩ましいものでもある。「謎」は曖昧な議論や解釈を呼び込みながら思考を加速させ、「文章を読むこと」から思考を遊離させていく。「読む」が「考える」に侵食されて、ページを繰る手が止まりはじめる。

この二つの中断はどちらも、テクストは「隅々まで理解しなければならない」、あるいは「自分は何もわかっていない」という「真面目さ」に駆動されている。この「真面目さ」がテクスト上の「謎」や、あるいはシステム上の柔軟さと共振し、ハウリングを起こし始める。そしてウィンドウが、本が閉じられる。

ところで、『差異と反復』のなかでドゥルーズは、問題についてこうした議論をしている。

まずドゥルーズは、問題を「解かれるべきもの」だと考えない。代わりに問題は、「解」から自立した具体性を持つものとされ、その具体性は問題に直面する主体に何かしらの応答を求め、その応答と共に「問題的な場」が作られていくと論じられる。

この「問題的な場」について、ドゥルーズは水泳の学習を例にあげている。水泳の学習において、問題とは押し寄せる「波」である。この「波」は主体に応答としての「泳ぎ」を求めるが、「波」の具体性は陸上での水泳指導のような「方法」を適用すれば済むものではなく、具体的な身体の使い方を求める。身体が波=問題に応え、それにまた波が応える。この反復運動こそが、「問題的な場」であり、同時に何かを学習する契機であるとされる。

先ほど書いた「中断」を生み出すところの「自分は何もわかっていない」という反省的な感覚、ある種の無能感は、ある意味では「すべてわかることができる」という感覚、要は全能感と鏡写しになっている。無能感と全能感、解けるか解けないか、これらの鋭い二項対立のなかでは、「問題的な場」のレベルは蒸発してしまう。代わりに「わかるわたし」と「わからないわたし」という「内面」がループを続ける。

さて、先ほど書いたような悩みを抱えながらも、ぼくは講座を進めていくうちに、動画をいちいち止めることを、また文学的な装飾にいちいち躓くのをやめて、とりあえず聞き進めることを、読み進めることをできるようになった。ただ「終わり」を目指す効率的な読書/聴取スタイルに変化したというよりは、部屋の隅に本を積んでおくようにして、「謎」を放っておくことができるようになったのだ。

テクストと向き合うためにこそ、テクストの細部に、「謎」に直面しすぎない。微妙に距離を取っておく。この時「謎」は、「解かれるべきもの」という方向づけを失い、ゴロゴロした粒度を持つ、具体的な情報として「隅」に積まれるようになる。

ドゥルーズの論に即して考えるなら、テクスト読解の過程は、内面の比喩(「飲み込む」、「入ってくる」)で考えるよりも、部屋の比喩で考えた方がいいのだ。ぼくらは部屋に置いてある家具やインテリアの可能性を十全に把握しているわけではないが、使うたびに思い起こされる家具の作りや、それを使う自身の身体や気分などの、あらゆる具体性を通して、その微妙な配置=「問題的な場」を形成していく。

先ほど書いた通り、ドゥルーズはこうした「問題的な場」の形成を学習と結びつけていたわけだが、以上のような議論を踏まえると、学習は「終わり」が曖昧なものになってしまう。こうした「学習」の捉え方は、フィロショピーの講座を「終えたはずの」ぼくらにも関わることだ。

ぼくらが『差異と反復』について「ここはわかった」、「ここはわからなかった」と個別に思うのは妥当なことだろうが、しかしそれでも、家具が使われるたびにその配置を変えていくように、学ばれた論が実践的に使用され、改めてその形や重さが捉え直される、そうした繰り返しを通過しなければ「何を学習したのか」ははっきりしない。それに実際そうした「繰り返し」はいつだって起きうる。「解」の桎梏を離れた「読み」は絶えずバランスを変えていく。しかしその「繰り返し」の度に、「何を学習したのか」という思いなしのなかに、学習の手応えは形を変えながら保存されていく。そうであるなら、学習に際限が無いと、ただいうのも違うはずだ。買いたての家具の使い心地を試すようなこの文章もまた、その手応えのひとつなのだ。

以下、全応募作品(改稿版提出順)

新しいものとの出会い——音楽体験の例から

さどぎ

ドゥルーズは「既成のもの」と「新しいもの」について、前者ははじめから既成であり、後者はつねに新しいのだと常識に反する説明を与えている。この説明は、私にとってはいささか衝撃的なものだった。
 
ここで簡潔に私のひとつの仮説的な解釈を説明したい。「既成のもの」は再認によって把握可能な経験的なレベルでの事物、既に現働化され出来あがっている事物のことであり、反対に「新しいもの」は我々の再認不可能な未知の領域、すなわち経験不可能な潜在的な次元にある純粋な差異のことだ、というものである。

しかし、経験的な事物がすべて「既成のもの」なのであれば、同じく経験的な次元に住む我々には「新しいもの」が経験されることは理論上不可能なように思える。ドゥルーズによれば、この「新しいもの」は問題としての理念を形成し、感性の新たな使用法を思考にリレーさせ、それと共にあることを我々に「学ぶ」ように仕向けるものとして実際に我々に現れるという。では、我々は如何にして「新しいもの」と巡りあうのか?私の音楽体験を絡めて、考えてみたい。

2023年の夏、私はある音楽フェスに参加するべく幕張を訪れていた。
目当てはオウテカという英国のテクノユニットだ。その界隈では有名なアーティストだったので、久々の来日に見ておこうというわけだ。名盤をある程度聴いておく予習をして、当日を楽しめるよう準備もした。

しかし、私の準備は無意味であった。その日の彼らの演奏は、これまで聴いた音楽のどれとも似ていなかった。後日知ったのだが、彼らはライブをするときは、アルゴリズム作曲の技術を用いて、その場で新しい曲を作り上げてしまうというのだ。「このような音が鳴った時は、〇%の確率で別の音を返す」よう設計されたプログラムを複数、複雑に組み合わせ、その相互作用の結果として混沌とした曲を生み出す。毎度異なる音楽が出来上がるのだ。

その音楽は記憶の中のどの曲とも似ていないがゆえに、聴き馴染んだ要素を発見できず、楽しむことが難しかった。まさしく「聴かれることしかできないもの」のめった打ちであり、意味不明だった。通常、お気に入りのアーティストのライブに行く時は、よく知った曲が演じられるし、人はこれを再認することで楽しんでいるように思われる。しかし、そこでは、全てが未知であり、再認不能な残酷として私に現前化していた。とはいえ、私はこの経験を、今では良い音楽を聴いた思い出だと思っている。私の理解するところでは、彼らの演奏は、一連の音の連鎖のそれぞれがまるで自分の存在を主張するかのように声を上げる生物であり、お互いの声に応答するかのようにして一つの自然を形成していた。

では、なぜ人は音楽へある理解を与えることができるのか、ドゥルーズの哲学に即して説明することを試みたい。

まず、音楽は人に聴かれる前から、前個体的な出来事=問題=理念として存在している。この理念は、それぞれ独立に意味を持つ要素によってではなく、その要素間の相互関係=比=差異によって規定されている。つまり音楽は、それ単体としては意味を持たない諸単音の、他より高いか低いかということや、より前であるか後であるかという相互関係によって規定される理念であるということだ。

そして、この理念としての音楽を我々が理解するということは、「しるし」として現れる諸特異点に、身体の特異点を共役的な関係におき、理念の中で内在的にひとつの意味=解釈を与える術を学ぶということである。それは以下のような過程によってであろう。

まず、「聴かれることしかできないもの」として、しるし=特異点(音と音の差異)を、聴覚の特異点と共振させることで感覚し、記憶へ伝達する。(そもそも聴覚の起源は、空気の振動によって与えられた問題の提起への解答なのかもしれない。)そして、記憶において「思い出されることしかできないもの」として伝達されたこの差異を、先に受け取り記憶していた別の差異とともに、思い出し、思考へ伝達する。最後に、思考は「思考されることしかできないもの」として受け取った諸差異を、一つの連鎖的な体系へと組み上げ、ある一つの意味連関=多様体を構成して理解しようとする。

つまり、我々が音楽を聴くときは、予め与えられた意味を再認しておらず、その都度、音楽と共犯することで新しく意味を作りあげている。音楽は、常にあらゆる方向への意味に開かれており、作曲者の意図さえも越え出ていく。音楽批評家による「この音楽はこういう意味だ」という説明は我々に何も教えてはいない。音楽の意味は、その鳴っている現場において、各自が勝手にしるしを拾得=習得することによってしか得られない。
 
そして、ドゥルーズによれば問題は一旦解を与えられれば消滅するものではなかった。私は既に何百回と聴いたことのあるお気に入りの曲であっても、何か新しい発見をすることが時々ある。かつて「ギターのメロディラインがかっこいい」曲として何度もリピートした曲でも、久々に聴くと、実はその裏でとてもグルーヴィなベースが鳴っていたことに気づくような時のことである。お馴染みの曲であっても、前述の過程が毎度行われているのである。

ここに来て私は初めの仮説の訂正を迫られている。「既成のもの」、我々が再認する同じものは、我々の頭の中だけに存在するものであったのだ。MP3プレイヤーに保存した曲を再生する時、我々はそれを同じデータによる同じ曲の繰り返しであると思う。しかしそれは実際には、常に全く新しい差異を含んだ反復、「新しいもの」として理念を表現している。我々の現実はまさに、差異あるものだけを還帰させる永遠回帰であり、常に「新しいもの」だけが現実化していたのである。我々の再認が、その差異を取りこぼすとき、現実は「既成のもの」として誤認されてしまうのだ。

ドゥルーズともう一度、考える旅へ

fumi2

学生時代、『差異と反復』で出会った「超越論的(先験的)経験論」という言葉に、頭を悩ませていた。カントの「超越論的」と「経験論」という一見対極にある思想がどうして結びつくのか、どうにも納得がいかなかった。ドゥルーズのカント批判は独創的であり、特異な用語も多いため、一人で読むには苦労した。入退院を繰り返し、大学よりも一人になれる映画館や美術館、劇場、図書館で過ごす時間が多かったが、専門外の哲学書を開くと、その難解さに打ちのめされることがしばしばだった。

カントの「カテゴリー」は、すべての経験の前提となる共通の認識の枠組みであり、それが法や道徳の根拠ともなり、ついには国際連盟にまで結びつく。物自体や認識の成立と対象の成立が同時であるといったカントの考え方は、19歳の頭には大げさだが生きることそのものと同じくらい刺激的だった。話し相手も相談相手もいず、病院のベッドの上でただ夢想にふける私にとってはスリリングな精神的冒険だったといえる。

しかし、そんな私の頭を揺さぶったのがドゥルーズだった。『差異と反復』で、カントの「カテゴリー」が現実の経験に対して「網の目が粗すぎる」と批判し、「現実的な経験、つまり選別や反復といったものの条件を探求し、生きられた現実性を見出すことが重要だ」と主張する。この時点で、頭にはいくつもの「?」が浮かんでいた。カントの『純粋理性批判』は形式的な理論書に過ぎず、だからこそ『実践理性批判』や『判断力批判』へと続くのではないかと思っていたのだが、ドゥルーズはエステティックの問題にも触れつつ、カントの思想全体を批判していたのである。 

結局、明確な答えが見つからないまま、病気による退学や転職をそのつど決断し、精神的に病み、自暴自棄になることもあった。良いことも悪いことも経験しながら、社会人としての年月が過ぎていった。結婚や育児に追われ、哲学書を開くことは少なくなったが、子どもたちが成長したのをきっかけに、再び学びを始めることにした。そして、そのタイミングで出会ったのがこの講座だった。再びドゥルーズの思想に向き合う機会を得たことはもちろん、何よりも今度は一人ではなく、多くの仲間と一緒に学べることが嬉しかった。福尾さんは講義を進めながら、受講者の質問に丁寧に答え、ネット上でありながらも強い共有感を生み出してくれた。その共有感が大きな刺激となり、私の理解は飛躍的に深まっていった。

ドゥルーズの「超越論的経験論」は、過去の哲学者が頼っていた「共通感覚」を避け、カテゴリーが成立する以前の能力が個別の対象に向かう力そのものを超越論的なものとして捉える考え方だ。カントが提示したのは「可能な経験の条件」、すなわち既に成立した経験を分析する枠組みだったが、ドゥルーズは「実在的な経験の条件」、つまり経験そのものを生み出す力に注目していた。従来の西洋哲学の枠組みを超え、「再認」に頼らない新たな能力の発生を探求したともいえる。

超越論的経験論は、〔カントとは反対に*引用者註〕経験的なものを引き写すことによって超越論的なものを描くなどということをしない唯一の手段なのである。

私が思うに、ドゥルーズが批判する「共通感覚」は、例えばテレビの安直なメロドラマに思わず共感して涙を流してしまうものの、どこか気恥ずかしさを感じるような感覚に近いかもしれない。ドゥルーズはこれを嘘だと一刀両断する。彼が提唱する「再認に頼らない能力の発生」を捉える体験とは、例えばクドカン(宮藤官九郎)と磯山晶プロデューサーのドラマにおける予想を裏切る展開が、全体の物語と巧みに繋がっている瞬間に驚く感性のことかもしれない。ふざけ過ぎと言うなら、タルコフスキーの映画において、カメラに初めて捉えられたかのような風や水の動きに心を震わされたり、P・スタージェスの映画『サリヴァンの旅』で突然疾走するキャンピングカーの中で巻き起こる大騒ぎに唖然とする瞬間がそれだろう。要するに、つまりは、我々の「出会う」感性が試され、重要視されているのだ。

思考するという行為を強制するものとの出会いの偶然性をあてにしよう。(略)おのれ自身を前提とするようなひとつの思考のイマージュの破壊、思考そのものにおける思考するという行為の発生。

こうした考え方は、カントの「普遍的な認識」や「超越論的統覚」によって秩序立てられた安定した世界観から、より不安定で暴力的な「出会い」を重視するドゥルーズの思想への転換を示している。カントは、理性と「共通感覚」によって世界の秩序が保たれると考えたが、ドゥルーズはそれを否定し、新たな認識は偶然の「出会い」によってしか生まれないと主張する。その「出会い」こそが、思考や感覚を強制的に生み出す力となるのである。

今回はエッセーという形式上、ドゥルーズの思想をかなり簡略化してしまったが、思えば学生時代に感じたドゥルーズへの苛立ちは、重要なプロセスだった。ドゥルーズは「イメージなき思考」に到達することの意義を説いている。これは外部からの強制によって新たに思考が始まる瞬間を捉えるものだ。病気による中退、転職といった挫折や孤独な時期も、まさに私を新たな方向へと導く「暴力的な出会い」であったのかもしれない。それはドゥルーズが指摘する「出会い」であり、私の思考を形作る大きな一因となったのだ。重要なのは、ドゥルーズがカントを超えたかどうかではなく、この講座が私の中に新たな答えをいくつももたらしてくれたこと、そして今こうして再び彼の思想に向き合う機会を得られたことであり、それが最大の収穫なのだ。

針は裏目に出たかードゥルーズの〈愚劣〉をめぐって

田中真由美

9月も終わる頃、六本木のYutaka Kikutake Galleryにアーティストの本山ゆかり氏の新作展を訪れた。本山氏の作品は、哲学者で批評家の福尾匠氏の著作『非美学』の表紙を飾っていたことをきっかけとして知る。その表紙では作品の部分がクローズアップされるかたちで用いられていたが、全体を引きの画像で確認したところ、明度差のある二枚の布が剝ぎ合わされたかなり縦長のフレームであることがわかり、キルティング技法により二股に分岐する下向きの花がミシン縫いの線で描かれている。タイトルは「Ghost in the Cloth(コスモス)」で2019年の作品。布のあいだに綿が挟まれているため、やわらかな陰影や触覚的な情報量が豊かで、「Cloth=織られている布」であることからテクストにおける読みの重層性を縫い合わせる「Ghost=幽霊的なもの」を召喚しているという意味で、本の表紙にぴったりだと感じられた。花がコスモスであることも「宇宙/秩序」の言葉遊びなのかもしれないし、そのコスモスの分裂的な落下はどこかエロティックな含みを読み込むことも許容しているかに思われた。

以上はネットでの単体作品の観察になるのだが、さてこの読みは覚えたてのドゥルーズいうところの〈再認〉でしかないのか否か。自分の作品との出会いをフィロショピー講座で学んだ理論で解剖してみよう、というのがこの感想文の動機となっている。実作品を見た六本木の個展「Call Me by the Name」は、同じ布のシリーズにおける新作が4点と、モノクロのドローイングが数点展示されていた。モチーフは花の他に羽根やナイフなどの象徴的な図が縫い込まれ、「Ghost in the Cloth(コスモス)」では白黒に近い明暗縦に二分割だった地が、フレームの比率を反復する四分割のカラフルなフィールドとなっており、自分はそこで選ばれている色彩と分割の関係に手がかりを見失ってしまう。視覚的なセンスとしてはとても素敵なのだけれど、前述のコスモス作品に見ていた分裂や二項対立や二重性の縫合に代わる読みが霧散してしまったというか。改めて「この四分割は十字架を切った犠牲の暗喩ではないか?」であるとか、「これは数学的な座標空間として見るべきなのではないか?」など〈諸能力〉を総動員して考察を試みてみたが、どうだろう。

またギャラリーの方に確認して見せて頂いたのだが、ミシンの針目が裏地を巻き込んで貫通していない(実際には貫通しているのだろうが別布で隠されている)ことをどう捉えるかという問題にもブチ当たる。花や羽根のモチーフについては「表面を掬い上げる/抉らない引き返し」のエロティシズムとして読めるけれど、ナイフのモチーフに関しては、その暴力性から貫通していることが求められるのではないか、と思ったからだ。これを出会いの〈強度〉として鑑賞は玉突き的に加速する。ナイフは調理にも用いられるので生産性の含みもあるのかもしれないのだとして、下向き大小二本のそれは逆転して相殺しあう訳ではないし、同じ先をみつめる相似形というほど完全には一致していない。地のはっきりしない色彩関係による感情的な生殺しに対し、「Call Me by the Name(名前で呼んで)」とナイフでヒステリー的に抵抗しているのかとも考えたが、それではますます針目は表面に留まってはおれまい。綿という「間(ま)」を挟み込み、解凍を待つ行間をある有限の下に圧縮することがテクスト(織られた布)における文体だとすれば、裏側を隠すように覆う布を着けたことは曖昧な処理に感じられた。ナイフ作品の先に羽根がふたつ対比的に縫われた作品があるのだが、「飛翔する羽根」と「むしられた羽根」という両義的なイメージを残すために手前のナイフ作品の貫通を隠したのだとして、そもそも絵画にはその裏面を問われる批評の歴史というものがあり、キャンバスの切り裂きであるとか裏張りであるとかの文法が正面性において開発されてきたことを思うと、本山作品が何故支持体に布を選んだのか、針が裏に出ることを積極的に肯定しないと、その選択は単に女性的な手仕事感の強調というステレオタイプな作家像を強化してしまわないか、など老婆心でもグルグルする。

フィロショピーの講義では、出会いの〈強度〉から、感性→想像力→記憶→思考へと至る玉突き事故のような暴力の連絡について解説があった。そうした連絡の飛躍から批評的な〈理念〉が導き出せるのだとして、自分の鑑賞は姑的な暴走にも思われる。『差異と反復』には〈愚劣〉という一見してネガティヴに響く概念が登場するのだが、自分の鑑賞が件のネガティヴさを発揮しているのではと苦笑いしてしまう。〈愚劣〉はドゥルーズにとっても愛憎(?)のある考え方なのか「思考としての思考の構造」とも「経験的規定であるよりほかにどうにもならない」とも説かれ、また「〈愚劣〉とは何か/いかにして可能か」という問い返しとしても現れる。本山作品はシンプルな要素の組み合わせながら、こうしたネガティヴな思考の渦を呼び寄せ可能としている点で豊かな謎を示してくれる。ギャラリーでは後日トークイベントが開催された。そのなかで本山氏は「いかにして美しさを避けるか」という観点から語られたらしいことをSNSで知った。そう伺っても美しい作品群にケチをつけているような自分の暴力は残り続け、その暴力の針が裏目に出たことをもって作品が完成する奇妙な感覚につける名前が〈愚劣〉なのか、とひとりごちたが合っているのだろうか。この、自前の論を正当化しようと思想を借りることこそ〈再認〉でしかないのでは?と、批評の暴力が「悔い改め」を果たす間に隠れ蓑とする布、それは確かに必要かもしれない。

空、ある背景の浮上

Sen

わたしの住んでいるマンションには外に非常階段があり、そこから屋上へ上がることができる。そのことを発見したのは、住み始めて三年が経過した今年の春のことであった。マンションは坂の上に建っているため、屋上からは傾斜に沿って広がっていく住宅街がよく見渡せた。屋上に寝転ぶと、目の前には際限なく空が広がっていたので、そこで毎日空を眺めるようになった。わたしが気象観察を始めたいきさつである。

それは、ちょうど仕事から離れていた時期だった。季節の変わり目になると、わたしのからだはいつも気象に蹂躙される。気圧や寒暖の変化で、生活はめちゃくちゃになる。もちろん他にも様々なストレスが重なったタイミングだったのだが、体調を崩し、仕事に復帰することが困難になったわたしは退職を選んだ。つまり、おかげで時間があったのだ。気象に生活を壊され、その結果、気象観察に励むようになったというのはなんだか倒錯的にも思える。しかし、日を重ねるごとに気象観察は、環境との関わり方を見直すための大事な役割を担っていった。

一般的に気象と言えば、テレビで目にする天気予報か、そうでなければ温暖化などの大規模な気象現象がイメージされるだろう。しかし、わたしの気象観察は、「微気象」という観点に基づいて行われる。微気象とは、その名の通りもっと小さなスケールの気象のことだ。例えば、都市部では建物の配置や材質が、その土地の気温や風の流れに影響を与えている。また、植生の違いが作用して、公園や緑地帯では周囲と異なる気温や湿度が観測されることがある。こうした微気象の観察は、気象現象の細かい変化を捉えるだけでなく、わたしたちの生活と環境との密接な結びつきを探る手がかりにもなるのだ。

気象の問題が立ち上がったとき、気象観察という応答を身につける。ドゥルーズ講義は、その過程で何が起きていたのかを整理する助けになった。気象に蹂躙されるような危機をドゥルーズは「背景の浮上」と呼ぶ。浮上した背景は、「形を歪ませる歪んだ鏡を《私》と《自我》に差し向け、いま思考されたすべての形式を崩潰させる」。これまでのわたしが薙ぎ払われるような暴力である。しかしわたしと自我は、背景の浮上に対して「身を守るすべをもたない」無防備な状態だ。ここで人は、背景という暴力によって思考を強制される。もう従来のままの自分では生きていくことができないと知るのだ。

では、気象の問題を前にしたときに、一体なにができるのだろうか。それは素朴に、住居の温度と湿度を調節するとか、部屋の換気をするといったことかもしれない。いっそのこと、全く外へ出ないようにして身を守ってみるのはどうか。しかし普通の住環境では、天気の影響を完全にシャットアウトすることは難しい。その思案のなかで、わたしは気象観察という手立てを選んだのだった。

観察を通して、気象との付き合い方を繰り返し検討していくことはできる。それは問題の探査そのものを興味深く、新鮮に楽しむことでもあるし、訪れない解決に対して気長に耐える姿勢でもある。一見、諦観にも思えるかもしれない。しかし、観察とは同じ場所に留まり続けることを意味せず、むしろ観察から得られた手がかりを頼りに、自分の態度やアプローチをその都度、更新していく作業なのだ。ドゥルーズにとって「学ぶ」とは、自分のからだと対象をリンクさせ、自分自身を変化させていくことである。気象と共にあることを覚悟し、自分を再編していく学習の試みが気象観察だと言える。ドゥルーズ講義を通して、そうした世界との向き合い方を少し掴めるようになった。

松濤美術館で開催された展覧会「空の発見」の概要文には次のような一節がある。

「そもそも、私たちの視点はふだん地上に向けられ、絵の中で「空」が主役となることは稀です。地上で震災や戦災が起こり、人間の活動がなぎ払われたとき、廃墟上に広がる空、戦地で見上げた空などが、突如重い存在感を持ち出します。目の前にありつつも意識されなかった空間が大きく浮かびあがる様は、認知の不確かさを物語ります。」

空とは、生活に密接なものだが、そこに生活を想起させるものは一切ない。そのためか、視界いっぱいに空を映していると、自分を支えていた額縁が失われたような錯覚がする。依拠していた基盤が、突然に脱色され始めて、意味の抜け落ちた感覚に陥る。そうした「認知の不確かさ」を肌に感じたとき、空は別の在り方を獲得せよとわたしたちに迫るのだ。「背景はそこにあって、目などあるはずがないのに、わたしたちをじっと見据えている」。一通りの気象観察を終えると、わたしは屋上から部屋へ、生活へと戻っていく。しかしそのわたしはそれまでの安寧が覆ってしまったあとの、別のわたしである。

感想とは何か? ――フィロショピーを受講して 

堀 雅之

講義の画面に福尾さんの顔や机や参考文献は見当たらず、ただWorkflowyがモニターに直結されていた。編集画面のカーソルの点滅、スクロールで上下するレジメ、オンタイムのタイピングと文字変換、それに福尾さんの声が重なる。

このインターフェースはすごくゴダール的だ。ゴダールの映画が他のどの映画とも違うのは、彼が他の誰とも違う方法で映画を見ているからだ。見方が違うから作り方も違う。

映画が面白かった時僕達はストーリー展開や演技の迫真性については雄弁だ。ゴダールは映画に必ずクレジットされる監督、脚本、出演者、撮影、録音、編集、衣装、美術、音響、照明などの諸能力すべてが達成した成果にいちいち平等に反応する。当然同じ方法で自分の映画を撮る。

ドゥルーズ講義で習ったばかりの能力、再認の二語を使えば、ゴダールの方法とは映画の諸能力を外部から「それは私の知っているあれだ」と何かの同一性を再認するのではなく、それぞれの能力を超越的かつ多元的に使用して新たな映画的実践を発明することだ、と言える。

全編を早送りにして1分38秒に短縮した2009年の『ゴダール・ソシアリスム』の予告編には度肝を抜かれた。とにかくカッコいいのだ。その仕掛けは目まぐるしく変わるコントラストが強調された画像ではなく、早送りされていない音楽にあった。試しに音を消すとメリハリが消え衝撃もしぼんでしまう。ゴダールはこの予告編で、音楽の抑揚が脚本の代わりに映画のストーリーを語るという新しい技法を発明したのだ。

この発明は、ゴダールが見た数え切れない映画のストーリー創造能力への賛辞という応答以外の何物でもない。ゴダールは映画史に対して新しい映画史を発明する。ゴダールは観客と制作者を頻繁に行き来する。「見るー作る」という感嘆と称賛の観客的連鎖を牽引するのが、「面白い」という当たり前だけど考えると少し不思議な一個の符牒だ。面白かったから自分も作りたい、面白かったからまた見たい。

「それってあなたの感想ですよね」と言うヒロユキ氏が正確に指摘するように、面白いという符牒と感想という言表のコンビは100パーセント主観的かつ非論理的で正しさや真理についての根拠と是非を問う論争では全くの役立たずだ。「面白い」に先導された感想は永遠に論破され続ける。

逆に言えば感想に求められているのは万人のための客観性や普遍性ではなく、つまり再認や共通感覚で対象の外側に特権的な場を築くことではなく、対象の内部に留まって外部から論破され続けること、内部的役立たずであり続けることだ。感想を論破しても相手は何も得られないし感想は何も失わない。

感想だけでどんなに面白い本を書いたとしてもそれは「面白い」に関する分析と総合でしかない、だから面白くなるのだけれど。これはゴダールを見ればよく分かる。言い換えれば、「なぜ面白いは面白いとしか言えないのか」という問いの答えが感想ということになる。

「面白い」は何かを指しているけれどそれは概念ではないし、感性的な快・不快だけでもない。ただ「美しい」という語は「面白い」にかなり近い、美しいものは美しい。この二語は符牒仲間だ、符牒はパスワードに似ている。「面白い」というパスワードを入力すると感想というワンダーランドが出現する。

ここに来て感想という一語は一般的な感想の範囲を大きく逸脱しようとしている。臆面もなく言えば、ドゥルーズ講義最大のトピック「哲学とは概念を作ること」に触発されてその一語は概念を孕み始めたのだ。ゴダールの方法は〈感想〉の方法だった。 

映画を「面白い」とつぶやきそれが〈感想〉になるのはどんな機制によるのか。映画はイメージであり「面白い」は言葉、つまり意味だ。イメージが意味にジャンプする時、〈感想〉に何が起こるのか。

僕たち主体は、いかにそれが流動的で不確実であっても、身体という袋に含まれるあらゆるものを一つのまとまりとして感受している。昨日の自分と今日の自分は同じだけれど、昨日から今日にかけての出来事が一日分の過去として記憶によって書き加えられてもいる。もし昨日見た映画が面白くなかったのに今日は面白かったとしたら、その一日の経験が「面白い」という判断に作用したからだ。

映画を見ることは、記憶の総体としての過去をもつという条件下でこそ可能になる。その総体を人生と言い換えれば、人は人生を背負って映画館に行くのだ。人生を一本の映画に例えるなら、映画を見る僕たちは他者の映画と自分の映画を重ねて見ていることになる。映画を見るとは二つの映画の相互干渉のイメージを体験することだ。当然二つのイメージはピタリと重なりはしない。

けれど僕たちが「面白い」とつぶやく時、つまりヒロユキ氏に「それは感想ですよね」と指摘されるだろう時、映画では二つのイメージがピタリと重なる奇跡が起きる。面白かったから自分も映画を作ったという他者と、それを面白いと思ったボクが「面白さ」で重なるのだ。

自分で自分の作った映画を「面白い」と断言することは主観の円環が邪魔をしてどうしたって不可能だけれども、ただの観客のボクは自分だけに固有の記憶、100%の主観性と非論理性、つまり自由に担保されていとも簡単に「面白い」と断言できるのだ。

他者もボクも人生を背負って映画に対峙しているのだから、重なったのは二つの人生だとも言える。もう一歩踏み込めば、ボクは他者の映画に何らかの仕方で出演している自分を見たということになる。

〈感想〉とは他者の中に新たな自分を発見すること、そしてその限りない連鎖なのだ。「面白い」と〈感想〉の最強タッグはこのような機制によって何事も意味づけず、何事も権威づけない仕方で僕たちをひたすら映画のイメージの中に留まらせる。にも関わらずその連鎖は外へ外へと広がって行く。

見ることと触れることのあわい

山﨑泰亮

「ちっさ!」という声が、コンクリート打ちっぱなしのギャラリーに響きわたる。アイマスクを外した彼女が、今まで触れていた作品をはじめてみたときの感想である。

京都の大徳寺近くにあるアトリエみつしまでは、毎年、全盲のアーティスト光島貴之が主導となり、まなざしをテーマに展覧会を開催している。アトリエみつしまで働く友人から声をかけてもらい、私もスタッフのひとりとして参加させてもらった。4回目となる2024年は“まなざしのモメント”と題され、約1カ月の展示期間では対話鑑賞のイベントも行われている。対話鑑賞とは、見える人も見えない人も、ともに美術作品を鑑賞しながら、互いに感じたこと、考えたことを話すことで、一般的な美術鑑賞とは異なる鑑賞のかたちを模索する取り組みである。

この日は、京都芸術大学に通う学生との対話鑑賞が行われた。光島の提案で、学生はアイマスクをした状態でギャラリーに入り、作品を鑑賞していくことに。壁をつたってゆっくりと進み、各々が手で触れていく。全員が鑑賞し終わったあと、まずアイマスクをしたままで感想を言い合う。「ざらざらしていた」「ぷくっとしていた」など、主に質感について言及する声が多い。温度などはどうでしたか、と光島が合いの手を入れる。「温かかった」「冷たかった」「え、そうだったっけ?」など学生同士で意見を飛ばしあっていた。落ち着いたところでアイマスクを外し、これまで自分が触っていた作品をみてみると、驚きの声がいっせいにあがる。冒頭の一言は、その中のひとつである。

「ちっさ!」には、見るときと触れるときのギャップが表現されている。この一言が示すのは、ただ触れるとき、実際に見るよりも大きく感じる、ということである。見ながら触れるとき、大きさのギャップはない。というより、見えているとき、人は実際に触っているときの感触をうまく感じられないということなのだろう。見ながら触れることと、ただ触れることは、根本的に異なるのではないかと思う。

わたしたちは、もの(対象)の大きさ/小ささをどのように把握しているのだろうか。そもそも、ものの大きさ/小ささ、つまりサイズとはなんであろうか。例えば、目の前にある本を手に取ってみる。だいたい、手のひらを広げたときと同じくらいの高さと幅があり、厚さは爪よりも少し長いくらいだ。単位で表現するならば、高さ20㎝、横幅15㎝、厚さ2㎝といったところか。サイズは、基本的になにかと比較するか、決まった単位を用いて表現することが主である。しかし、彼女が放った「ちっさ!」という一言は、比較または単位による表現とは少し異なるように感じる。彼女が「ちっさ!」とサイズについて言及したのは、おそらくそれを見たからである。そしてそのことにより、これまで触れることでのみ感じ取っていた言葉にならないものが、見ることと言語化によって、自分の中で認識できるものとして消化したのではないか。

彼女の中で、今まで触れていたものがどのように感じられていたのかはわからないが、少なくともアイマスクを外して見たことで、小さいという作品全体に対する認識が形成されたことは確かだろう。見る前までは、全体に対する意味付けではなく、作品のさまざまなところに触れたときの、個々の感触がそれぞれ存在しているはずだ。小さいという意味付けがされたことで、そのことが消失するわけではないが、全体として小さいという評価を与えられたことによって、個々の感触を覆い隠してしまう可能性がある。それまでは、個々の感触がそれぞれ存在していて、またそれは再度触れることで都度変わっていくものでもあり、作品に触れていくという過程を含んだものとして作品があったはずだ。しかし、小さいという評価は、今後変わることはないだろう。あるとしても、他のなにかと比べて大きい/小さい、という風にしか言い得ないだろう。
 
見る前と見た後で思っていたよりも小さかった、という体験自体は、率直なものとして大切であると思う。しかし同時に、触れていただけのときの、作品一片一片に対する個々のリアリティ、また触れるたびに変わりゆくものとしての瞬間ごとのリアリティというものも存在していて、それは触れることでしか得られないものである。わたしたちは、見ることと触れることが同時に起きるような世界で日常生活を送っているため、ただ触れるときの一瞬一瞬の感覚を特に重要視していない。しかし、そのことによって取りこぼしているものがあるように思う。

哲学者たちが哲学を開始するときに見過ごされてきたこと

マツモト コウジ

「再認のモデル」から逃れて、いかにして物や出来事と出会いなおすのか

哲学はまっさらなところから開始される。あらゆる権威に寄らず、自分の頭で物事を考える。このような姿勢こそが哲学することであり、哲学者と呼ばれる条件であると思っていた。では、どのように哲学は開始されるのか、思考するとは何であるか。『差異と反復』の第三章「思考のイマージュ」において、まさにこの問いが論じられている。

デカルトは自分の認識している一切のものが本当に存在しているか疑わしいが、疑わしいと思考している私はたしかに存在していると考えた。ドゥルーズは次のようにデカルトを批判する。デカルトがこのように述べたとき、存在とは何を意味するのか、思考するとは何を意味するのかは暗黙の前提としてみなされ、一切問われることはなかった。それぞれが何を意味しているかは皆が知っているし、誰も否定できないという形式で、デカルトは存在と思考の意味をあたかも普遍的概念かのように扱った。

デカルトは感覚する、想像するなどの他の諸能力と同じように、思考することを生まれつきの能力とみなしたとドゥルーズは指摘する。「人は思考することによって真理に近づける」、「思考することは正しい」、以上のような二つのイメージはデカルトだけでなく、他の哲学者たちも抱えてきた思考のイメージであるとドゥルーズは述べる。ドゥルーズは哲学が開始される以前に遡り、それらのイメージが哲学の開始の前提に潜んでいることを見逃さなかった。加えて、哲学者たちは人は誰でも生来思考すると言うと同時に、哲学しなければわからないことがある領域を作った。ドゥルーズは、哲学がこの分割こそを権威の拠り所としてきたと批判する。

例えば、哲学が好きですとか、哲学の本を読むのが趣味ですと言うと以下のような反応が返ってくることが多い。「哲学って難しそう」、「へー、すごいね」。哲学が趣味であるという表明には哲学することが個人の「やる気」に支えられた主体的な活動であるという前提が潜んでいるし、哲学が難しそうという反応には哲学にしかできないことがあるということを人々が認めていることの表れでもある。ドゥルーズの主張を受けて、私は哲学が好きであると明言することに躊躇を覚えるようになった。なぜなら、私が抱えていた哲学のイメージはまさに「思考することは善いこと」、「哲学は真理に接近できる最良の道具」だったからだ。それらのイメージはドゥルーズが批判しているところの哲学者たちが持っていた思考のイメージと重なる。

ドゥルーズは、これまでの哲学は思考することは正しいことであるという世俗的な価値観に依拠してきただけではないかと批判した。ドゥルーズは人間が思考することを権利として行使できると認めながらも、事実として人は滅多に思考しないと述べる。もちろん、彼が哲学者たちを批判する際に、この事実を述べただけで満足したわけではない。真の批判の対象は哲学者たちが作り上げてきた超越論的な思考の枠組みなのだ。ドゥルーズはデカルト、プラトン、カントなどの哲学者たちが超越論的な思考と経験的な思考をいかにして分割線を引いたかに読者の注意を引く。これまでの哲学者たちが作った公準、換言すれば、彼らが依拠してきた哲学の規範を8つ挙げ、ドゥルーズはそれぞれを批判しながら、イメージなき思考を目指す。

それらの公準の一つ、「再認のモデル」は私たちが物を認識する際に働く思考の形式である。再認とは「同じものとして想定された一つの対象に向かって全ての認識能力が一致して働く」ことである。例えば、私は目の前のカップに入った黒い液体をコーヒーとして同定し、香り、液体の黒さ、湯気、カップを持っている手のあたたかさ、苦さ、各々の感覚を連携させてこの黒い液体を一挙にコーヒーと認識する。

物を認識するときにはたらく「再認のモデル」と同様に、日記を書く前に今日の出来事を振り返る瞬間にも再認のモデルは働いていると私は考えた。一日を終える前に、その日を振り返って経験したことを思い出して日記を書く。今日経験したことと昨日経験したことに見出される共通性を見出す。日付が異なるだけで、どちらの体験も同じ経験として記述する。あるいは二度目の経験なので書く必然性がないものとして記述しない。私が何かを思い出す際にも、当時のありのままの出来事は思い出された出来事とは異なるはずなのに、今日以前にも既に経験したこととして出来事は思い出される。

では、どのように「再認のモデル」から逃れるのか。ドゥルーズは、「再認のモデル」から逃れるためには新しいものと出会う必要があると述べた。つまり思考以外の諸能力、それぞれの、感性には感性にしか、記憶には記憶にしかとらえることができない対象があることを認めることだ。朝、仕事先に向かう前のコーヒー、読書の傍に飲むコーヒー、友人との会話の合間に飲むコーヒー。それぞれのコーヒーが異ならせている環境、状況、出来事、それぞれのコーヒーの味の違いに注意を払うことによって、個別のコーヒーについて書いてみる。しかし、これらはドゥルーズが言うところの「新しい出会い」ではないかもしれない。私は内容が同じ記述でも主語と目的語を入れ替える操作をしてみる。同じ場所で飲んだコーヒーでも気温が違えば味も違うことを描写してみる。今日の出来事にもう一度出会いなおしてみる。これらは私の内にある「再認のモデル」からズレるための試みだ。

分からなさと出会う

さとゆ

福尾匠のフィロショピーの企画、1C1P(One Chapter for One Philosophy)のドゥルーズの一章のタイトルは「何をしたら何かを『考えた』ことになるのか?」である。私はよく考える人に憧れていた。深く考えることができる人になりたかった。それは「考える」という行為に対して、真理の追求をすることのようなどこか高尚なイメージを抱いていたからかもしれない。または、社会問題を解決するためによく考えて行動しなければいけない、という強迫観念だったかもしれない。だけど、「考える」ということはどういうことなのか。改めて問い直すと何だかよく分からない。

「人間たちは、事実においては、めったに思考せず、思考するにしても、意欲が高まってというよりむしろ、何かショックを受けて思考する」(ジル・ドゥルーズ『差異と反復』財津理訳,河出文庫,2007年, 上巻354頁)

この一節を読んだとき、そんな、と思った。ドゥルーズは意欲によって人は考えることができないという。「考えたい」という意欲に満ちていた私は、この一文によってピシャリとはねつけられたような気分になった。

こんなことを思い出した。中学生の頃の期末試験前だった。普段のような授業ではなく、授業の1コマを自習時間としてそれぞれが取り組みたい内容を選んで勉強する時間があった。生徒は試験対策の問題集の中から自分がよく間違ってしまう範囲や理解できていない範囲を選び自習をする。時々先生に解説をしてもらいながら試験に向けて最後の追い込みをしていた。そんな中、私は問題集の中でも既に解ける範囲をひたすら繰り返し解いていた。もう既に答えも覚えているような因数分解の問題を繰り返し解いては、解答集を開いて赤ペンで丸をつけた。自分がつけた赤丸がずらっと並ぶノートのページを見て、私は満足気になっていた。時折、先生に「もう分かっているところばかり解いてどうするの。」と、自分がまだ出来ていない問題に取り組むように促されるのだった。

問題集だけではなかった。いつも同じ漫画や小説を読んでいたし、同じゲームのセーブデータを消して、何度も同じストーリーを繰り返し遊んだ。私は同じことを繰り返すことが好きだった。だけど、それ以上に、私は分からなさや知らないことに向き合うことが怖かったのかもしれない。自分が解けない計算問題、理解できない文章や他者の言葉があることを知ることでショックを受けたくない。既に知っていること、既にできることがそこにあることを確認して安心したい。だから、とにかく反芻しようとしてしまうのではないか。しかし、それはドゥルーズが批判する「思考のイメージ」そのものだろう。

「思考において始原的であるもの、それは不法侵入であり、暴力であり、それはまた敵であって、何ものも愛知〔哲学〕を仮定せず、一切は嫌知から出発するのだ。思考によって思考される内容の相対的な必然性を安定させるために、思考をあてにするなどと言うことはやめよう。反対に、思考するという行為の、また思考するという受苦〔受動〕の絶対的必然性を引き起こし、しっかりと立たせるために、思考するという行為を強制するものとの出会いの偶然性をあてにしよう。本当の批判の条件と、本当の創造の条件は、まさに同じものである。すなわち、おのれ自身を前提とするようなひとつの思考のイマージュの破壊、思考そのものにおける思考するという行為の発生。」(ジル・ドゥルーズ『差異と反復』財津理訳,河出文庫,2007年,上巻372頁)

既にそこにあるものを確認し続けることは思考ではない。思考はむしろ分からないものや知らないことに出会い続けることなのだ。思考は分からなさに自らを開くことによってしか起こらない。

1C1Pでは、講義の感想や質問を次回の講義までに書いて送ることができる。ドゥルーズの文章は一読では内容を全然理解できない。私はいつも言葉の波に飲まれていき、何が分からないのかも分からず溺れそうになった。それでも、講義を聴いてなんとか質問を書こうとした。何を自分は分かっていないのか。分からないことの中でも、何に対して引っかかるのか。どの文章が気になるのか。講義のアーカイブを巻き戻しながら、気になるところを繰り返し見て、とりあえず分からないままに書いてみる。あるいは気になる文章を抜き書きしてみる。分からないことや気になることを少しずつ並べていくと、段々と問いがもやもやと現れて輪郭を持ち始める。

そのとき、問いに対する答えが見つかるわけではない。だが、そこに問いが現れたことによって、私の今までの当たり前に疑いが向けられ、世界の見え方が少し変わる。私は再確認の反復から引き摺り出されていく。このことこそが「思考するという行為を強制するものとの出会い」ではないか。分からないことを分からないままに書くという実践が私に思考を仕向ける。1C1P「ドゥルーズの一章」は『差異と反復』の解説とともに思考するという行為の発生を促す実践によって、私に「考える」ことの手触りをもたらしていたのだ。

ドゥルーズの「誤謬」及び「問題」観から見直した、私の発達障害及びトラウマ体験

高杉

フィロショピーを受講し、ドゥルーズの回で彼の「誤謬」、「愚劣」、「問題」に対する独自の考え方を知った。この経験を通じて、私は自分が抱える発達障害と、そこに起因する心の傷から少しだけ逃れたように感じる。

私は発達障害の一つ、自閉スペクトラム症の当事者だ。これは外面上現れず「見えない障害」といわれ、多様な行動や認知の偏りが主な特徴だ。私の場合、物事へのこだわり癖や能力の凸凹が強く、自分の世界の中に埋没して集団生活になじむことが難しかった。子どもの頃は自分がしたい読書にこだわりすぎて学校で「授業」というものが理解できないなど唐突なこだわり行動をとり、周囲の行動の言外の意図や先の予兆が読めずにぼんやり見ていて行動が遅れてしまうなど、様子が変わっていて周囲から断絶してしまい、気味悪がられいじめが常態化していた。この経験から、今なお何事も必ず「自分が間違っている」という感覚にとらえられ、自分を信じて行動することができずにきた。

フィロショピーでドゥルーズの思想に触れる中、私のこの感覚に対して新しい見方ができるところがあった。『差異と反復』で思考のドグマティックなイマージュについてドゥルーズはこう論じる。「誤謬」とは誤った再認、すなわち「合理的なオーソドクシー〔正しき臆見〕の裏側でしかなく、またもや、おのれが遠ざかっている当のもののために、つまり真っ正直さのために、良き本性と良き意思とを、つまり、間違えることもあるといわれているものの本性と意思とを証示するのである。したがって誤謬は、「真理」に敬意を払っているわけだが、ただしそれは、誤謬が形式を持たないがゆえに、偽なるものに真なるものの形式を与えるかぎりでのことである」(ジル・ドゥルーズ『差異と反復』(上)、財津理訳、河出文庫、p.395)。誤謬とは「真理」としてオーソドクシーという一つの解が設定されているために存在する、つまり間違ったものに真理の形式を与えたことで生まれた誤りということでしかない。

私はこの言葉を自分の経験につながると感じた。空気のように見えないが確かに存在する規範=オーソドクシーという「真理」に対し、いつもそこにどうしても合わせることができず、自分が間違い=誤謬であるとされて、社会で自らを否定しながら生活し自己形成してきた経験を思い出す。振る舞いという決定的な答えがないところで、「誤謬」だとされ貶められることは、どうしても納得がいかなかった。ドゥルーズは、またここにも示唆を与える。

ドゥルーズは真理に対抗する概念として「愚劣」を提示する。それは誤謬以外の、真理に対し否定的な多様なもの全てだ。「イメージなき思考」を行うこととは、誤謬以外の否定されていたもの全てである「愚劣」を肯定し、そちらに立つことだと彼は考える。

ここで「愚劣」は劣った悪いものとされることから反転し、「合理的なオーソドクシー〔正しき臆見〕」が合致しないままに、人が自らの本性を推し進めて生きていく可能性の余地となる。ドゥルーズは「愚劣」なもののすべてに、存在や尊厳を認めるかのようだ。

これまでの自分史の中で私はどうしても周囲の人々や世の中から与えられる人間像を目指さなくては生きていけないように考えていた。それは相手の望む回答を自然に伝え、他人を苛つかせず、大きな助けを借りず自立していられるような姿だ。そこから外れれば社会から攻撃され排除されることを、ひどく不適応を起こした過去から当然視し、自分自身の素直なあり方のまま尊厳を持てるとは考えられなかった。自分が率直に出す答えがすべて「誤り=誤謬」で、自分が愚劣だと否定されるはず、と思ってきたためだった。

しかし「愚劣」とは、定められた「合理的なオーソドクシー〔正しき臆見〕」が合致しないだけで、真理に対する誤謬ではなく、実は真に生きた思弁そのものだとドゥルーズが宣言するのを聞き、私は今までのように自分への否定に怯えなくていいのではないかと思う。かくあるべきとされた「普通」という規範、すなわちオーソドクシーは、自ら考えながら生きればすぐそこからはみ出てしまう、一つの臆見に過ぎない。本当に大事なのはそうしたクイズの定まった回答を思案することでなく、誤謬だと言われることさえも恐れず「愚劣」を引き受けて生きることだと思う。しかし、それはどのような生なのだろうか。その答えもフィロショピーの受講体験のなかに見つけた。私はそれが「問題」の本質の中にあると思う。

フィロショピー「ドゥルーズの一章」第5回講義で、福尾氏はドゥルーズにとっての問題観の解説で「「前もって与えられるすっかり出来上がったもの」=作らなくてももとからあるもの」、「「答えもしくは解の中で消失するもの」=答えてしまえばなくなるもの」という問題についての見方をドゥルーズはどちらも排し「心理的には幼稚で、社会的には反動的」な問題観とし、「問題は解が与えられても存続し続ける」もので、一問一答的なものではなく、常に何かを生み出し続けるものであること、そしてその生産的なものが人間の中にあるのだと解説する。こうした問題観から、正解とされるような生のありように対して私自身が誤謬だとされることは問題ではなく、私が生きてあることこそが生成的な「問い」であり、私が生きるということから生まれるすべてのことをそれが「愚劣」であるからこそ肯定できるのではないか、そんな希望の感覚を得られたように感じている。

出発

柳田

僕は疎遠だった友人との再会を果たした。しばらく連絡が途絶えていた状態で、あるとき自分から一歩踏み出して彼の家に行った。彼との再会を通して「考えた」ことがある。

ジル・ドゥルーズは、「世界のなかには、思考せよと強制する何ものかが存在する」と言った。ドゥルーズが言うには、考えることを強制する「何ものか」とは、考えたくもないものである。思考の始まりは、考えたくもないものとの出会いにおいて発生する。

「思考において始原的であるもの、それは不法侵入であり、暴力であり、それはまた敵であって、何ものも愛知〔哲学〕を仮定せず、一切は嫌知から出発するのだ。思考によって思考される内容の相対的な必然性を安定させるために、思考をあてにするなどということはやめよう。反対に、思考するという行為の、また思考するという受苦〔受動〕の絶対的な必然性を引き起し、しっかりと立たせるために、思考するという行為を強制するものとの出会いの偶然性をあてにしよう。」(『差異と反復』上、財津理訳、河出文庫、372頁)

友人との疎遠から再会を通して、僕は「考えたくもないもの」を考えさせられた。

彼に会いに行くべきだと思っていた。LINEのメッセージを送るのはやめておいた。顔が見えない状況でやり取りするのは怖かった。事前に連絡を取ってから会いに行くのではなく、直接会いに行くことを考えた。だが、行為のリスクはある。彼にとっては突然の来訪となる。急にひょっこり現れた僕を見て、彼がどう思うか。行ってどうなるかは本当にわからなかった。もっとよくない状況になるかもしれない。絶交だと言われるかもしれない。一歩踏み出す覚悟が必要だった。その覚悟をもって、リスクの時空に飛び込んだ。絶対的な必然として「会いに行くべきだ」と感じていた。考えたくもない「何ものか」がそうさせたのだ。

この「何ものか」は、再会しなければならない彼であり、また僕自身でもあった。

僕はこういうふうに考えた。

彼はツッコミの人である。人によってツッコミ気質かボケ気質かという傾向の違いは大まかにあると思う。自分はボケの傾向が強い。ここで自分なりに「ツッコミ/ボケ」の違いを定義してみよう。それは何を恥ずかしいと思うかの違いだ。

ボケには、決まったことをするのが恥ずかしいという思いが少なからずあるのではないか。自分はそうだ。決まったことから逸れてもいいなら恥ずかしくない。反対に、ツッコミは決まったことから逸れてしまうことを恥ずかしく感じる。僕にはその感覚はわからない。

この話は、疎遠になる前も再会の後も、彼と話すことがあった。そこで交わされた会話のなかで、彼はこんな例を挙げた。サッカーゴールに向かって離れたところから一人ずつボールを蹴る。このとき、「この距離なら誰でも入るだろう」という状況で一人だけボールを大きく外してしまったとき、彼は恥ずかしいのだという。

また別の例で、授業中に指名されて教科書を読み上げるとき、「こんなの読み間違えたりしないだろう」という漢字を、読み間違えたり、読み方がわからなかったとき、これも彼にとっては恥なのだという。

僕にはこの感覚がわからない。僕にとって恥は、教科書の例で言えば読んでいる最中に声が裏返ってしまったときだ。逆にそれは彼にとって恥ではないらしい。声が裏返るのは「身体のレベル」にあるのに対し、ツッコミ的な恥は「社会のレベル」にあるのだと彼は言った。彼によれば声が裏返るという偶然性は恥に直結しないのだという。ツッコミ的な恥は規範との関係にある。ツッコミは決まったことから逸れるのが恥ずかしい。

疎遠になった経緯はこうだ。僕が無自覚に常識を逸脱し、そのことを彼に強く指摘されたのだが、常識の前提となる規範がそもそもわからない僕は、食い下がる態度になってしまった。ものごとの規範=コードを読むことが苦手な僕にとって、彼のツッコミは不法侵入であり、暴力であり、死角からやって来るもので、プレッシャーだった。

僕は恥の問題を「考えた」のだ。

小学生の頃、下足ホールで靴を履き替えるとき、誰かが僕に向けて「バーン」と指で銃を撃つ真似をした。「うっ」とやられるふりをしなければならない。僕はふざけて、ごまかしてその場をうやむやにした。「うっ」の役ができなかった。

受け身の役がイヤだという男の子っぽさもあったと思うが、それ以上に形式的に決まった演技をそれなりの感情を込めて演じることが、とてつもなく恥ずかしかったのだ。

決まったことをするのが恥ずかしい。決まったことから逸れてもいいなら恥ずかしくない。銃で撃たれても、まったく関係ない逸脱的行動をわざとする=ボケるのであれば恥ずかしくない。「うっ」とやられるふりをする、そのことに僕は恥ずかしさと怯えを抱いていた。

彼なら「うっ」とやられるふりをすることに、「それやったらええんか、任しとけ!」という自信さえ湧くのだと聞いた。彼との間にとてつもない距離があると思った。

今、もう一度あの下足ホールに引き戻されて、目の前で「バーン」とされたら、僕は「うっ」とやられるふりができるだろうか? 自信がない。やってみようとすればするほど、巨大な穴が足元に発生してそこに落っこちてしまいそうなプレッシャーがひしひしと伝わる。一歩が踏み出せない。途方もない一歩だ。「うっ」とやられる僕になるためには、跳躍しなければならない距離がある。

彼に会いに行く日。一日がこんなに長いのかと圧倒された。出発までの部屋での時間は途方もなかった。自転車を漕ぎ、彼の家の前に来て、木造の二階建てを見上げた。一度は引き返した。しばらく家の周囲をぐるぐるして、また家の前に来て、インターホンを押すか押さないかまでの緊迫した時間。よく晴れた日の少し暑い六月の朝だった。彼はまだ寝ているかもしれなかった。

溜息をつく、哲学を買う。

皐月偽(Stray Cat Design Works)

山手線の中でヘッドホンを取り出し、それをつける。見知らぬ誰かの体が加えてくる圧力と生ぬるさを押しのけて、スマホを取り出しフィロショピーの講座を再生する。福尾匠のどこか乾いた声が、渋谷への到着を告げるアナウンスを上書きするように流れ始める。巨大なディスプレイに流れる広告と高層ビルの明かりが照らす薄曇りの夜空が広がっている。その下、ホストとコンカフェと地下アイドルの客引きでごった返すハチ公前。喧騒、音、光。全てから目を逸らすかのように、もう一段、音量をあげる。音量を上げて、そして溜息をつく。ただ、肺を押し潰すように、疲労と倦怠を空気中に拡散させるみたいに息を吐く。

終電ギリギリの空いた車内に座ったときや、日付を超えて湯船につかるとき、フィロショピーのアーカイブを再生する。人の居ない気安さと、生暖かい空気と、貯めこんだ疲労の中で動画を見始めて、そして大抵、途中で眠ってしまう。大脳も、海馬も言語野も何もかも、ほどけるように崩壊して、何を言われているのか分からなくなり、次の瞬間に記憶は断絶する。いつか来るはずの緩慢な死をシミュレーションするみたいに、無数の小さな死が講義を満たす。記憶の途切れた場所の手前から、何度も繰り返して同じことを聞く。
 
僕の中でフィロショピーの記憶は、こうやって、日々の裏側に貼りついた疲労や溜息と分かちがたく結びついてしまっている。しかし、そうした鈍い痛みに似た疲れや、諦念にも似た倦怠は、僕だけのものでは無いのかもしれない。『差異と反復』のドゥルーズも、『知の考古学』のフーコーも、いやに疲れ果ててはいないだろうか。少なくとも、僕にはそう見える。

例えば、フーコーは、ここまでどうにか定立した、言説や言表という概念について「諸々の統一性を、かくも大きな努力と引き換えに、かくも多くの試行錯誤の後で、それを明らかにするために多くのページを要したかくも漠とした諸原理」(『知の考古学』, p.256)と言っている。ちなみにこれは『知の考古学』のⅢが終わった直後、Ⅳの冒頭に書かれた一文で、「言表」を定義するという難題をどうにかやりおおせたのに、それでも探求が終わらないことへの疲労と諦念が滲んでいるように思う。

ドゥルーズにも目を向けてみよう。『差異と反復』の第3章を一読して目につくのは、「受苦」「無力」「悪しき意志(やる気のなさ)」「意気阻喪」といった、否定的で疲れ切った表現の、ほとんど手癖で書いているかのような乱立だ。ドゥルーズが『差異と反復』に賭けていたのは、その疲れ切った状態を所与のものとして認めつつ、そこからどうにかして思考を立ち上げることだったのであり、それは彼自身が拭い去り難い疲労を絶えず感じていたからではないのか、と勘繰りたくもなる。

しかし、いったい、彼らの、そして僕の、この疲れは何なのか。ドゥルーズもフーコーも、どうしてそんな疲労に浸かりながら哲学なんかをやろうと思うのだろうか。いや、というか、何故こんなに疲れているのにも関わらず、僕は哲学なんかを買ったりしているのか。
ドゥルーズは『差異と反復』第三章で思考の開始の問題、言い換えるならば「思考することへの欲望は、どのようにして生まれるのか?」という問題に、「思考を開始させる暴力との出会いによって」と答えるわけだが、これは少なくとも先に挙げた「フィロショピーを買う欲望とは何なのか」という問いに対する解答としてはズレているだろう。フィロショピーを買うことと思考が開始することは同一のことでは無い。むしろそれは、思考が開始する手前にあるもの、何も読んでおらず、何かとの「出会い」の前にあるものだ。哲学−以前のもの、思考を開始させる暴力に先立つものとして、動画を購入する。だとすれば、一体、フィロショピーを買うという行為は一体、何なのか、何であったのか。僕は一体、何と2万円という金額を交換したのだろうか。

何の論証もなく素朴に思いついたことを述べるなら、たぶん僕が買ったのは「そこから何かが始まるという予感」みたいなものだったのだと思う。ドゥルーズとフーコーの1章を講義と共に読む中で、そこで思考を発生せしめる「出来事」に出会ってしまうことの予感を僕は買った。それは言い換えるならば、一つの小さな賭けをするということだ。クレジットカードで2万円を払う。溜息と共に動画を開く。いくばくかの金と時間を、ベットする。ほんの僅かな、その予感に賭金を置くようにして、僕は哲学を買う。そこから何かが始まれば良いと思った。それが抱え込んだ憂鬱と息のしづらさを少しでも和らげるようなものになることを期待していた。それがあまりに身勝手な期待なのだとしても、僕は、そういう仕方でしか何かを買うことができなくなっている。

深く、長く、絞り出すように溜息をつく。辛うじて、甘やかな窒息を避けるかのように息を吐く。鈍い痛みと緩やかな絶望、倦怠と諦念に満たされた日々の隙間へと、哲学を差し込むために、僕はフィロショピーを買う。それが、少しだけ日々を変えることを今も身勝手に期待している。

Bibliography
ジル・ドゥルーズ, 『差異と反復(上)』, 2007, 河出書房新社
ミシェル・フーコー, 『知の考古学』, 2012, 河出書房新社

哲学書という山に登る

kenken

哲学書という山には、初心者でも歩けるように整備された登山道などない。それどころか、どこから見上げても崖や急斜面ばかりで、よじ登ってみることすらできない。というのが、今回の「ドゥルーズの一章」を機に『差異と反復』を初めて開いてみた最初の感想でした。ドゥルーズの哲学には以前から興味がありましたが、やはり独力で読むのは無理だと思いました。

そんな私が、途中で脱落しかけながらもなんとか全6回の講義を聞き終えて感じているのは、福尾さんのようなガイドの力を借りれば、初めてでも哲学書を「登ってみる」ということは可能であり、そうして登ってみれば、麓からは見えない景色を味わうことができる、ということです。

『差異と反復』の山は、私には崖に見えても、何度も登っている福尾さんは、どこに手や足をかければよいか、どのような身のこなしをすれば登っていくことができるかを知っていて、今回は第三章というルートについて、それを実演しながら私たちをガイドしてくれました。道中での「第三章を詳しく読んでいけば、『差異と反復』という哲学書の全体像を大まかにつかむことができる(そういう読み方ができるのが哲学のテキストの面白いところ)」といった話も印象的でした。つまり、哲学書に馴染みのない私が、今回こうして一章分を登ってみて目に映すことができた景色は、実は頂上からの眺めに近いものかもしれないということなわけで、そんな体験を提供してくださった福尾さんのガイドに深く感謝しています。

特に味わうことができてよかったと感じているのが「種別化と個体化」が論じられている部分(講義#4、テキスト403頁-)です。私が数年にわたって愛読している、イギリスの人類学者ティム・インゴルドの著作群には、ドゥルーズ(&ガタリ)がよく引用されています。彼もまた、ドゥルーズ(の哲学)という山を何度も登り続けているのでしょう。403頁前後を登りながら、インゴルドもこの景色を眺めたことがあるのだと感じました。この部分については、以下のように理解しました。

種別化と個体化という対比(二項対立)が提示され、個体化の方がよいもの、つまり「思考する」ということに近いものとして論じられている。動物は「背景」から際立つ(あるいは背景に取り込まれる)個体でしかない(個体化という形式しか持っていない)。それに対し、人間は個体としての私に加えて、そのような個体化から遊離した種別化の形式としての〈私〉(自我、自意識、種の認識)を持っている。ドゥルーズによれば思考はある種の暴力によって「強いられる」ものとしてしか発生しえない(「出会う」ことしかできない)ものであり、その発生の条件として、個体と〈私〉とに二重化された存在としての人間にとっての〈私〉の崩壊というものが考えられる。つまり、人間が思考するためには、自我の崩壊が必要であり、それは、(直観に反するが)人間が動物に近づくこと(「愚劣」)とも言える。

ここの議論、特に「個体と〈私〉とに二重化された存在としての人間」という部分から、インゴルドが語っていることを思い起こしました。曰く「人間を最もよく表す定義は、人間とは、自らを客観視することによってのみ、自らを理解できる存在であるという、存在論的なジレンマを表現するものだ」と。そして、人類学の中心的な手法である「参与観察」について、「参与しながら同時に観察することはできない」という論があるが、その根底にはこのジレンマがある。知は、外部から観察することではなく、(このジレンマを抱えたまま)参与しながら観察することで初めて生まれるのだ(*)、というのが彼の主張です。

フィールドワークにおいて、個体としての人間として参与しなければ、つまりは種としての人間=〈私〉にとどまっている限りは、世界と「出会う」ことができず、「愚劣」になること、つまり思考する(思考を強いられる)こと(≒インゴルドによる人類学の定義である「人々とともに哲学すること」)はできない。二重性を認めつつ、それでも〈私〉が崩壊するような他者との「出会い」を経験していくことが、知を獲得していくためには不可欠なのだ。このように読んでみると、インゴルドの人類学論の背後にはドゥルーズの思考論があるように思えてきます。そして、この文脈に当てはめると「〈私〉の崩壊」というのは、自我や人類(人間という種)に対する認識が揺さぶられることのようにも読めて、このような「揺さぶり」こそが参与観察によって思考が生まれる条件であるという、私(筆者)個人の人類学的なフィールドワークの経験とも合致します。読みの正しさはともかく、こういうことを考えられる程度にはテキストを咀嚼することができた、山を登るという体験やその中での景色を味わうことができた、ということをとても嬉しく思います。

とはいえ、実はまったくもって筋違いな解釈をしていて。ここまでお読みいただいた福尾さんが「こいつ、全然登れなかったんだな」と感じていらっしゃったら申し訳ないなと思います。もし仮にそうだとしても、哲学書という絶望的に険しく見えた山に、少しは登れたような気分を味わえただけでも、このフィロショピー第1期に参加できてよかったと思っています。第2期も楽しみにしていますし、自分も登ってみようかな、という方が少しでも増えていくことを願っています。

* Tim Ingold, The Art of Paying Attention, Art of Research Conference 2017
https://youtu.be/2Mytf4ZSqQs?si=Mp29lK6J7PKuUPd3

哲学の方法を学ぶ

今津祥

人は退屈する生き物だ。退屈するとは、同じことの繰り返しに耐えられなくなることもある。だから人は退屈から逃げようとする。しかし同時に人は退屈を欲してもいるのではないか。たとえば、すべてが繰り返さないのだとすれば、一瞬毎に違う世界が到来し私たちはもはや連続した知覚を維持することはできなくなるだろう。同じことを繰り返せるから私たちは何が起こるかわからない世界に恒常性を備え付けることで安心することができる。だから人は繰り返しを嫌悪すると同時に、繰り返しを欲するのだ。こうした繰り返しへの嫌悪と欲望は、私の中では「表現」においてよく現れる。

私は20代前半から映画や小説や批評や写真やら、その時々の自分にとって表現しやすい媒体を選んでは表現の方途を探ってきた。表現をする度ごとに、「自分の中にこんなものがあったんだ!」と感じることができた。しかし徐々に飽きてくる。退屈が到来するのだ。最初に感じた新鮮さをもう感じることはできない。「同じことを繰り返しているだけだ」そう思ってしまう。そうしてまた別の表現手法、あるいは媒体を模索することになる。

そんな私にとって、フィロショピーで学んだ『差異と反復』『知の考古学』は格好の参照点を与えてくれたように感じた。ふたつの書物はそれぞれに補完的に、繰り返し=退屈からの脱却の方途を示してくれているのだ。そのことについて考えてみたい。

『差異と反復』の3章「思考のイマージュ」。この章で語られるのは、一言にまとめると、「再認批判」であると私は考えている。「再認」とは「再び」「認める」こと。ということは、認められることはすでに存在しているのだ。それをドゥルーズは「思考のイマージュ」と呼ぶ。その「再認」の存在様式が、この章で語られるのだけれど、その中心に位置するのが共通感覚である。

共通感覚とは五感や想起など人間が為す様々な能力=方法が、ある一つの認識に向けて統合されることである。ドゥルーズはこの「統合」によって、能力の異種性が捨象されると考えているのではないかと思った。それぞれの能力が、「異」のままでさまざまに創発され影響される―――このことを、ドゥルーズは暴力や出会いなど、ある種の偶発的な出来事によって生じると考える。しかし「再認」の形式があまり強固だと、その異種性に向かうことができない。なぜなら「再認」とは、いつまでも同じことを同じように認識させる強い力を持っているからだ。

しかし人はなにがしか共通感覚に基づく再認なしには生きていけないともいえる。それがなければ世界はカオスと化してしまうだろう。しかし世界のカオスを有限化し、認識の方法を定めると、むしろそれが、主体の能力の異種性を衰えさせてしまい、そうして繰り返しの世界がやってくる……。

こうした再認による有限化は、ある一人の個人の中でだけ生じるのではない。この有限化が社会というステージにおいて、微視的に形成されつづけると考えたのが、その形成の在り様を分析する『知の考古学』を書いたフーコーである。

『知の考古学』は『狂気の歴史』『言葉と物』などで権力の様態を分析してきたフーコーが自らの分析手法自体を俎上に挙げ、「言表」という観点でその内実を論じた本である。分析するにはその最小単位が必要である。その最小単位をフーコーは「言表」に定め、その様態が語られる。

フーコーは権力批判で有名だ。その批判の興味深いところは、権力の主体とは必ずしも、いわゆる圧政的な政府や支配者とは限らず、むしろ、わたしたち、民衆の中にこそ権力の萌芽があると言っているところだ。では、権力がわたしたちの中で芽生えるとはどういうことか。そのいわば影の支配者として登場するのが「言表」である。

フーコーは『知の考古学』のなかで、言表の機能として「言表の主体に位置を割り当てる」を挙げている。たとえば、広告のキャッチコピーを例に考えてみよう。あるキャッチコピーを見た人がいる。その人はそれを真似て、ツイートする。あるいは、無意識に真似て、無意識のうちにその文体がツイートの文体に反映する。このような形で、言葉は様々な言葉の間を練り歩き、自らの影響力を強めていく。むしろここでは、その言葉を使う人よりもむしろ言葉自体にこそ、その「主体の座」があるようだ。そして「主体としての言葉」はまた、それを読む/書く人にある種の「主体性」を分け与える。「あなたも○○になれる!」といった言葉に意識/無意識問わず影響される人は、「○○になりたい人」といった「主体性」が割り当てられる。こうした言葉の流通、それに伴う主体性の創発、こうした循環の背景にそれらの流通を取り仕切るエージェントは存在しない。そのような形で、生起し流通し使用される言葉をフーコーは「言表」と呼び、「言表」を分析することによって、社会の権力の様態を析出する。

ごくごく簡単に要約するとこんな感じになるのだが、これまたごくごく粗くフーコーとドゥルーズを連結させてみたい。

つまり、ドゥルーズの「再認批判」における再認の対象たる同一性とは、フーコーが分析した「言表」の流通によって生起する権力とも考えられるのではないか。だから「言表分析」の視点を持つことによって、同一性(=権力)を認識することが可能になり、また、「再認の形式」の視点を持つことによって、自身の内部に巣食う同一性を破壊させる認識の道具を得ることができる。これが私がフーコーとドゥルーズが補完的に思えた理由だ。

つまり、フーコーとドゥルーズのふたりはともに「同一性」を標的にすえる。ひとはつい同一性の中で安住しその繰り返しによって安心すると同時に、その状態を嫌悪する。ドゥルーズはその状態から脱出するには暴力が必要だと言う。同じことを同じように繰り返すことを欲する同一性、この自己閉鎖的な回路から脱出するには、その内部にいる人間の意志ではなく、むしろその外部から暴力が必要である、と。

私にとって同一性からの脱出口は表現によってみいだされた。つまり表現とは、自己閉鎖的な回路を破壊するための暴力であったのだ。しかし、暴力はまたも同一性の中に取り込まれてしまう。自分自身の書いた文章を「また繰り返しだ」と思い、嫌悪する。そしてその同一性から抜け出すために、別の表現方法、媒体を見出そうとすることになるのであった。つまりこうした循環には、こうすれば完全に脱出できるという出口は存在しない。であれば、同一性に絡めとられてしまう自身を認識し、そしてそんな自分から抜け出す、という通時的な運動が必要なのだ。そのための参照点が、フーコーとドゥルーズの著作にはあるのだと思った。


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