フィロショピー第3期の講座として、「日記の哲学:表現すること/させられること」と「ドゥルーズ超入門:思考の具体相と生の抽象線」を開講します。それぞれ独立した内容ですが、互いに補い合うことでより思考が深められるようなテーマを選んでいるので、セットでの受講をおすすめします。
なお、第1-2期の講座は、「自分で読めるようになる」ことを目指した、哲学書から一章を抜き出しそれを丁寧に呼んでいく講読的な講座でしたが、今期の講座はもっと気軽に聴くことができるものです。
概要
多くの日本人が小学校の宿題で初めて日記を書いただろう。明治時代に近代的な教育制度ができた頃から、日記がは国語の宿題の筆頭だった。そして時を同じくして、正岡子規は自身が主催する雑誌『ホトトギス』で読者から募った日記を掲載していた。
日記ほど書くことと書かされることが接近している形式もない。
それはたとえば、「表現の自由」という言葉を使うときわれわれが無意識に前提している、表現とは主体的で能動的で内発的なものなのだ、そしてそれが外から抑圧されているのだという一連の連想を問いに付す力をもっている。表現か制度か、ライフが先なのかログが先なのか。日記のなかでこれらはつねに反転する。
日記を自己表現のツールとしようが自己管理のツールとしようが、自分に矢印が向いていることは変わらない。問題はその「自己」なるものがすでに日記の形式に依存していることだ。
この講座では、一方でツイートから長編小説まで、個人によるあらゆる表現が日記的な側面をもっており、他方でスケジュール管理アプリから確定申告まで、個人を管理するあらゆる形式もまた日記的な側面をもっているという、極端な日記中心主義を仮説的な前提として採用する。
講義は近代以降の日記の歴史と、フランス現代思想における言語と制度についての議論を往復しながら進められる。日記を真ん中に置けば、とくにドゥルーズ/フーコー/デリダそれぞれの思想の特色はくっきりと浮かび上がる。つまり日記は本講座の主題であると同時に、これ以上ないフランス現代思想入門のフレームともなるだろう。
各回の概要(予定)
- 日記と近代:学校・戦争・写実
- 権力と個人:フーコーの権力論
- 書くことと〈私〉の部屋:西川祐子とヴァージニア・ウルフ
- 文学機械:ドゥルーズの言語論
- 日記と忘却:グレッグ・イーガンと『ボーン・アイデンティティ』
- 反自伝としての日記:デリダのエクリチュール論
日程
3週にいちど金曜20時より
4月25日 日記#1
5月2日 ドゥルーズ#1
(一週休み)
5月16日 日記#2
5月23日 ドゥルーズ#2
(一週休み)
6月6日 日記#3
6月13日 ドゥルーズ#3
(一週休み)
6月27日 日記#4
7月4日 ドゥルーズ#4
(一週休み)
7月18日 日記#5
7月25日 ドゥルーズ#5
(一週休み)
8月8日 日記#6
8月15日 ドゥルーズ#6
開催形態
講師:福尾匠
開催形態:YouTube Live、アーカイブ視聴可能、資料配付
コメント
“日記の哲学:表現すること/させられること” への1件のコメント
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