ドゥルーズの一章:何をしたら何かを「考えた」ことになるのか?

1C1P(One Chapter for One Philosophy)」企画第一弾としてドゥルーズ「思考のイメージ」(『差異と反復』第3章)とフーコー「言表とアルシーブ」(『知の考古学』第3章)をそれぞれ全6回で解説する講座を並行しておこないます。こちらのページではドゥルーズの講座について説明します。フーコーの講座についてはこちら

なぜこの本のこの章なのか

  • 『差異と反復』(1968年)は前期ドゥルーズの主著であり、第3章はドゥルーズが自身のスタンスを哲学史の流れのなかに位置づけつつ自己解説しているような内容である。
  • それによってこの章は「西洋哲学史概説」にもなっている。
  • おもしろいから。ドゥルーズが書いたもの(対談・インタビュー集は除く)で最初に何を読むべきかと聞かれたらこの章をおすすめする。

この章のテーマ:思考とは何か

  • この章では、「哲学とは何か」、あるいは「ものを考えるとはどういうことか」というド直球のテーマが扱われている。
  • ドゥルーズは哲学の歴史のなかで、人びとが何をもっておのれは「哲学をしている・ものを考えている」とみなしてきたのか、その前提を列挙し、それらをすべてひっくり返していく。
  • タイトルとなっている「思考のイメージ」とは、文字通り「思考する」ということについて抱かれる「イメージ」である。
  • 論理、客観的妥当性、正気であること等々の「イメージ」は、思考にともなう経験的な要素を思考という行為の根拠にすり替えているにすぎないと断じられる。つまり、思考のイメージは、すでに成り立っている思考の結果によって思考の原理を構築しているのであり、結果として得られたものを原因に送り返すことによって出来上がる。
  • ドゥルーズは「イメージなき思考」にこそ到達しなければならない、つまり、自己循環的におのれの正当性を調達するのではない、そこから思考が「発生」する地点にまで遡行しなければならないと言う。
  • それは「思考せよと強制する」ものとの「出会い」と呼ばれる。
  • 大仰に聞こえるかもしれないが、われわれがいつ、どのようなときに思考するのかと具体的に振り返ってみると、それは抜き差しならない状況(締め切りの夜、口座残高を見たとき、意中の相手と話していて相手の表情がかすかに曇ったとき……)と直面したときであり、つまり、われわれはものを考えたいから考えるわけではなく、むりやり考えさせられるわけだ。
  • ドゥルーズがおもしろいのは、このように大仰さと身近さが不思議と同居しているところ、ごくごく具体的なものとの出会いの抽象的な力をつかまえているところだと思う。この章ではその魅力が凝縮されている。

囓ることのできる哲学史上のトピック

  • プラトンの真理論
  • デカルトの「コギト」
  • カントの認識論
  • ハイデガーの「思惟とは何の謂か」
  • ラッセルの真理論

日程(隔週月曜20−22時)と各回のトピック(仮)

  1. 5/13 :ドゥルーズ概説、『差異と反復』概説
  2. 5/27:哲学することはいつ「始まる」のか
  3. 6/10:見ているものと知っているものが「同じ」であるとはどういうことか
  4. 6/24:「知ること」と「学ぶこと」の差異
  5. 7/8:思考は「不法侵入」によって生まれる
  6. 7/22:「答え」は「問題」のなかにあるということの意味

講師:福尾匠

開催形態:ZoomもしくはYouTube Live、アーカイブ視聴可能、資料配付

使用テクスト:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』(上・下)財津理訳、河出文庫
(講義内で原書や他の本も参照しますが、本書(の、上巻)だけあれば大丈夫)

価格:全6回15,000円
フーコーの一章」とセット受講で20,000円

単体受講チケットリンク(STORES

セット受講チケットリンク(STORES

*申込期限5/12(日)


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