フィロショピー第4期(2025年秋冬)の講座として、「言葉にできること:パフォーマティブの概念史」、「芸術の考え方」、そして「ひとりでできるブックデザイン」を開講します。それぞれ独立した内容ですが、セットでの受講がお得です。
概要
「パフォーマンス」に由来する「パフォーマティブ」という語は、もともときわめて限定的な意味をもった用語でした。オースティンという哲学者が『言語と行為』(1962年)でこの概念を考案したのは、従来の哲学が考える「真理」がきわめて狭量なものであることを批判するためだった。
従来の哲学はコンスタティブ(確認的)な真理しか扱ってこなかった。それは「猫がマットの上にいる」とか、「三角形の内角の和は180度である」とか、言葉とそれが指し示す外的な対象との一致に宿る真理だ。
しかし、われわれが使う言葉の世界にはコンスタティブなものだけでなくパフォーマティブ(遂行的)な機能をもっているものが膨大にある。たとえば「被告を懲役10年の刑に処す」という裁判官の言葉や、神父に問われ「誓います」と言う新郎の言葉は、その言葉そのもののうちで「判決」や「誓い」という行為を作り出しているのであって、言葉の外にあるものを指し示しているのではない。
パフォーマティブの発見は、したがって、新たな「真理」あるいは「意味」の領域の発見であった。そしてこの発見とその批判的解釈の歴史はそのまま、20世紀後半の哲学の歴史を反映している。
この歴史を見るうえで厄介なのは、第一にオースティン自身が『言語と行為』の前半でパフォーマティブ/コンスタティブの区別は不可能であると断定していること、第二に、それにもかかわらず(しばしばこの事実を棚に上げて)パフォーマティブという概念が様々な文脈へと拡散したことだ。
後者のもっとも顕著な例はジャック・デリダによるパフォーマティブの脱構築と、それを引き継いで発展されたジュディス・バトラーによる「ジェンダー・パフォーマティビティ」の議論だろう。そこではもはや、オースティンによるもともとの定義はほとんど反映されていない。
狭義の哲学に留まらず、カルチュラル・スタディーズや批評の領域で一般化するにつれ、「パフォーマティブ」という語の示すものはどんどん曖昧になっていった。とはいえ原義に立ち返って派生的な用法を訳知りに批判するだけでは何も生まれない。この講座で試みたいのはむしろ、原義を把握することで、その意味の拡散のパターンをより正確に捉えることだ。それによって、20世紀後半の言語哲学が何と格闘し、何を目指したか、そしていまそこから何を汲み出すことができるか考えることができるだろう。
トピック(予定)
- オースティン:パフォーマティブの失敗から発語内行為へ
- デリダ:パフォーマティブの脱構築
- バトラー:パフォーマティブと社会的構築
- アガンベン:宗教と芸術のパフォーマンス化
- ドゥルーズ:パフォーマティブの限界と発語内行為としての哲学
開催形態
講師:福尾匠
開催形態:YouTube Live、アーカイブ視聴可能、資料配付
日程
- 全6回、3週間にいちど金曜20:00-22:00
- 2025年11月28日
- 2025年12月19日
- 2026年1月9日
- 2026年1月30日
- 2026年2月20日
- 2026年3月13日
講座チケット
*セットでの購入がお得です。
*購入者全員に次回購入20%オフクーポンをお配りしております。
